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【断片小説】ア・ハーフ(12/24)・デイズ・ナイト ②

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 暗闇に浮かんだ2つの光は、廊下灯に反応して少し平らになり、そして徐々に元のアーモンドの形に戻っていった。ドアが開かれ、深呼吸一回分くらいの間があった。
「よぉ」と彼は口に出した。それはビール瓶の口に息を吹きかけたときのような、虚無を感じさせる音の震えだった。彼はもう少しだけドアを押し開けたが、それは三十センチにも満たなかった。おかげで僕はその隙間に滑り込むようにして彼の家に入るしかなった。彼は訪問客など興味もないとでもいうようにひとりそそくさと部屋の中に入っていった。


 玄関には段ボールやごみ袋が積まれており、ひととおりの請求書の類が靴箱の上にかさばっていた。木目の見える扉を開けてみると、部屋の中はもっと悲惨だった。カーペットの上にはいくつもの衣服や下着が散乱しており、ガラスのテーブルの上にはプレイステーション4といくつかのファッション雑誌、公務員講座のテキスト、堅く閉じられたノートパソコンが置かれていた。強いラベンダーの芳香剤の香りの中に混ざってあらゆる種類の酒の匂いと嘔吐物の臭いがあった。目線を奥にやると、勉強机から本棚にかけて、本や衣服やカバンなどが散乱していたが、それは意外にも紅葉を催した山脈のように絶妙な彩色と配置のバランスを保っていた。ソファーベッドには今しがたそこから巨大な人型の羽虫が羽化したばかりのように、毛布が奇妙な空間を有していた。


「こりゃひどいな」と思うと同時に声が出ていた。
彼は短く頷いた。
「適当に座りなよ。俺も適当に酒を持ってくる」ガラステーブルから雑誌類を床に振り落とし、パソコンを無造作にソファーベッドに投げながら彼は言った。
 そして足元の衣服をひとまとめに抱えるとバスルームの方へ姿を消した。 

僕はテーブルの上につまみのビニール袋を置き、リュックを前に抱き直し、ゆっくりと正座をした。彼はグラス二つと赤ワインボトルを持って戻ってきた。
「ビールはないのか」
「まだ冷えていない」、グラスにワインを注ぎながら彼は言った。

 夭逝した大切な我が子を川に流して弔う哀れな若い女王のように彼は見える。そんな風にワインボトルを抱いていた。全体的に淡くモザイクをかけてやれば中々絵になる注ぎ方だ。西洋美術館の常設展示室の一角に小さく、その油絵のスケッチがあってもよさそうだった。僕としては一杯目はビールが良かったが、その注ぎ姿に免じてワインでもいいかという気分になっていた。なにしろ今夜はクリスマスイブなのだ。ワインの方が味が出るかもしれない。
 僕はポップコーンの菓子袋を開けた。スモークチーズの袋を開け、そのうちの5つほどをテーブルの上に出して置いた。それはひとつひとつキャンディーのように個包装されている。それからプレステ4にDVDをセットし、再生ボタンさえ押せばいつでも映画が見られる状態にした。

☃ ☃ ☃ ☃
「大丈夫なのか?」気になっていたことを単刀直入に、それでいて言葉少なに訊ねた。
 沈黙。
 ちゃんと聞こえていたのか不安になってしまえるだけの時間が流れた。
「この2か月ばかりを鑑みたところ、俺はなんとかうまくやってきた。だから、大丈夫じゃないように見えて、俺は大丈夫だ」
 彼は、部屋の電気を消し、再生ボタンを押した。きゅいーんとディスクが回る音がした。
「そうか」、喉はからからだった。だからやけにs子音がはっきりと発音された。

 この2か月のことを思った。僕らが最後に顔を合わせてから、また今みたいにテーブルに着くまでの2か月。彼は大学に顔を出さなくなり、僕は大学にまた通い始めるようになった。大学構内のメインストリートのイチョウ並木は、扇の葉をすべて落とした。鼻を突くような臭いを発する銀杏の実は雪の下に埋まった。


 しばらく我々は暗闇の中、テレビの画面を眺めた。ぼんやりとオープニングの配給会社のロゴが現れては消えていくのを眺めていた。そのうち本編が始まっていたのだが、最初の内僕は気づくことが出来なかった。乾杯のためにグラスを鳴らしてもいなかったことにも気づいた。グラスには口をつけたあとがあった。光の加減でそこだけ窪んだように見えた。
 しばらく我々は映画を黙って見続けた。ポップコーンを一掴み手に取り、手元も見ずにそれを食べた。
 映画は酷い代物だった。とにかく頻繁に人が死んだ。心に病を抱え、善と悪の二面性に苦しむ主人公が散弾銃を手に、周りの人々を次々と撃ち殺していった。頭を吹き飛ばされる者もいれば、腹に風穴を空けられて死ぬものもいた。脚を撃たれた挙句、階段から蹴り落されて死ぬ者もいた。
その瞳から光が消えるそのときまで、主人公の善人性を信じようとする者もいた。それでも構わず、主人公は徹底的に殺していく。バン!バン!
 世の中にはかなりのバリエーションの撃ち殺され方があるのだなと思った。
 撃ち殺されるたびに血が噴き出し、それはガラステーブルを赤く照らした。現実に血が流れているみたいだった。
 しばらくぼんやりとその血だまりを眺めていたが、やがて耐えられなくなった。彼の方を見やると、彼はまだわりかし熱心に見ていた。彼もまた、主人公にまだ善人性があることを証明しようと躍起になっているのかもしれない。どこかそのフラグメントさえあれば。


どこにもそのフラグメントは残されなかった。
救われない映画だった。


カーテンの隙間から外を見ると、雪が降り始めたようだった。

(③につづく)

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