ほぼ毎日エッセイDay4「動物について時々思うこと」

大学の講義で家畜の屠殺の映像を見たことがある。
「かなりショッキングだから見たくない人は顔を伏せていなさい」と言いながら、講師は動画を再生した。

こめかみをハンマーで叩き、脳しんとうを起こさせ、首を掻っ切って放血する。ストレスのない死を与えて、肉が不味くならないようにする。彼らは死んだことにも気づかない。
「あぁ、わたし怖いもの見たさで間違って見ちゃったよ。あんた、よくあんなの見た後に牛丼食えるよね」と、彼女はコールスローサラダをフォークでかき混ぜながら、軽蔑の目を僕に向けた。仕方ないじゃないかと僕は思ったものだ。大学の食堂は混雑を極めていて、僕らは寒空のテラス席で縮こまって食べるしかなかった。枯れ枝にたくさんのカラスが止まって、襲撃の隙を伺っていた。そんな日。

**
ヘイトに使われる動物たちのお葬式くらいはしてあげてもいいのではないかと、中吊り広告に羅列された動物の並びを見ながら、ふと思った。豚野郎、ゴリラ顔、アホウドリ、ナマケモノ、チキン、蛇のように狡猾、狼のように残虐、キツネのように卑劣。
そんな「ヘイト使役動物」のために、動物愛護団体が名乗りをあげていることを知ったのは最近のことだ。それは流石に馬鹿げていると思っている自分はここにいる。何人かのヴィーガン達もこちら側で腕組みしている。
「動物は人間よりも劣っているという考え方そのものが、種差別を増長させるといいたいんだろう」と何人かはあちら側で、団体代表者の肩に手を置いている。

**
美しく商業的価値のある絶滅動物たちが率先して保護されるのに、保健所では毎日数百匹のペットたちが殺されている。なんてことを吊革にぶら下がりながら考えていると、我々みながアドルフ・アイヒマンなのだろうかとも思えてくる。違うだろうと思いたい。

「ゾウを守ることが出来れば、彼の生息地を守ることが出来る。トラを守ることが出来れば、醜い虫も守ることが出来るんだよ」と、保護団体は言う。
「猫、保健所で貰ってきました」と例の彼女はSNSで画像をあげる。そういえば彼女は、いただきますと合掌してから食事をする、気持ちの良い子だった。

この記事が参加している募集

よろしければお願いします!本や音楽や映画、心を動かしてくれるもののために使います。