見出し画像

元不登校大学院生が考える「不登校支援のありかたと子どもが求めていること」


不登校生が大人に求めていることはなにか。

ぼくが不登校だったとき、
「助けてほしい」と大人に思ったことは
ただの一度もありませんでした。

もちろん母親に対しても例外ではありません。
口に出して「こうしてほしい」と言う子のほうが珍しいかもしれません。

現在不登校支援者として活動する方はたくさん
いますが、本当に不登校生が必要としていること(の1つ)はなんなのでしょうか。

支援者に限らず、いろんな方がそれぞれの答えを見出す中、ぼくは

「となりのお兄ちゃんでいること」

だと結論付けました。
では、そんなお兄ちゃんとは何なのでしょうか。



※あくまでぼくの答えです。誰かを否定したり、
不登校の子たちの考えを特定の枠組みに当てはめるものではありません。※


となりのお兄ちゃん=「ただの大人」として、「ただのその子」に向き合うこと。


「不登校支援者」という立場になりつつある自分について考えていたとき、必然的に「不登校のその子」を見ることになるのではないか、という意識がどうしても抜けませんでした。

というのも、不登校生だった当時の自分は、
気にかけようとしてくれていた人たち(支援者、先生、同級生)に対してすらも煩わしいと感じていました。

その人たちは共通して「不登校のしんのすけ」
としてぼくのことを見ていました。

「ただ普通に受け入れて接してほしい」。

「ただのしんのすけ」として向き合ってほしかった気持ちが表れていました。


結構辛いんですよ。
大人からも同級生からも”不登校の人”として見られること。

いっぱい悩んで、できるだけ鮮明に過去を振り返っていました。
その時のぼくが何に悩んでいて、何を求めていたか。

その結果、当時のぼくが欲しかったのは
「ただ一緒に居てくれるとなりのお兄ちゃん」
でした。

それを思い出したとき、今のぼくのあるべき姿は、そんな存在として子どもと接する人であるのことなんじゃないかなと気づきました。

ぼくが「ただのお兄ちゃん」として子どもに接するということは、「不登校のその子」ではなく「ただのその子」に接することになります。


それは、少なくとも当時不登校だったぼくが求めていた存在です。

支援をされている方がたくさんいる世の中で、
そんなお兄ちゃんが1人くらいいてもいいと思うんです。

母親に対しても思うことは同じです。
「不登校の子どもを持つ私」ではなく、「ただの母親である私」としてぼくに接してほしかった。

それは、毎日温かいご飯を作り、部屋をきれいに掃除する母親のことです。


最後に。

ここまで話しましたが、ぼくの活動はこれまでと変わりません。

大人の方たちには元不登校生として「子どもの気持ちを大人に伝える」。子どもたちには「となりのお兄ちゃんとして向き合う」。

そんなお兄ちゃんを求める子たちのところへ行く。なんてこともゆくゆくはしていきたいですね~。

やり方はこれからいっぱい変わっていきますが、この二つの軸だけは曲げずに活動していきます。

「ただの」しんのすけでした!!

こんな人が書いていました。↓

・名前は「しんのすけ」といいます!
・小学校5年生から中学校3年生までの約5年間不登校でした。
・卒業後は定時制高校に進学し、その後通信制高校に転校しました。
・現在は心理学を専攻する大学院生です。
・3年間ほどフリースクールでボランティア活動をしています!
・instagramでは、元不登校の立場からの活動を発信しています! (@shinnosuke_school)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?