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放送大学芸術文化祭にきた20231105、午後の顛末

放送大学芸術文化祭の映画

13時からは、ルワンダの涙だった。

ルワンダには少数派のツチ族と多数派のフツ族がいる。

政府と暴徒化したフツによる、ツチと穏健派フツに対するジェノサイドが勃発しルワンダ虐殺となった。
この結果、約100日間のうちに、当時のルワンダの総人口約730万人中、およそ100万人が殺害された。

その初期の虐殺の出来事をそのから生き延びたごく少数の人が映画スタッフなどになり作成された映画だ。

私は、ツチ族とフツ族の対立は
ベルギーの植民地政策によってもたらされたことは知っていた。
ベルギーは少数派のツチを中間支配層に指定し、
植民地を支配していた。

そのことが多くの差別と特権階級を産み、
その積年の恨みが暴発したのが
ルワンダ虐殺となったのだろう。

映画でも、内戦の停戦を監視するため国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)が展開したが、
その権限は
「見ているだけー」
であって、
国連の中枢がその指揮権を持っていたが、
彼らは現場を見ず、
意思決定もできず、
複雑な意味不明の言い訳を考える天才たちだった。

ルワンダの人たちは、
ヨーロッパ人によって人工的に作られた民族対立と、
また、
欧米が主体となる国連の機能不全によって
ジェノサイドのブレーキをかけられず、
自国民が殺し合う状況を押し付けられた。

映画を見て、
全員が無差別に虐殺されるという
とても生き延びられないような状況で、
大人の死体の下で、
死んだふりをしたりしながら生き延びた子供たちがいて
その彼らが、欧米にわたり、クリエイティブな仕事につき、
この映画を多才に支える人材に成長していたことは
驚きだった。

同じ日に見た
PLAN75の薄っぺらな作りと差がつきすぎる出来栄えだった。

命のなくなる淵から生き延びた人間と、
机上の空論を練り回すものの
差が出たのかもしれない。






















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