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コップ並々の牛乳を注ぐ娘
最近、娘は自分で牛乳を注ぐようになった。
以前は「ママ、牛乳!」と言うてたのが、「牛乳を入れてください」と言えるようになり、さらに自分でコップから用意できるようになった。
成長しているんだなぁと実感できるのは喜ばしい。ただ、ちょっと変わった飲み方をするのが気になる。
机の上にコップを置き、こぼれるかこぼれないかくらいのギリギリまで注ぐ。そして、コップを持ち上げることなく、口から迎えに行くようにして飲む。
「どうしてそんなことをするんだ?」
大人が「どうして」と言う時には少なからず批判の意味を込めてしまうものだが、娘は臆さずに理由を打ち返してくる。
「だって、パパがそうやって飲むから」
なるほど言われてみれば、缶ビールをグラスにうつす時には、泡がグラスの端面から出るくらいまで注ぐ。家ではやらないけれど、日本酒をグラスから注ぎこぼす時にもやるやつだ。
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「なぜビールや日本酒では許されて、牛乳では非難されるのか?」について私が説明しなければならない番になった。
私がそうする理由を改めて考えると「並々に注いだビールの方がシズル感があるから」としか言えない。もし、娘が並々の牛乳にシズル感を覚えるとすれば、それは正当な理由となりうる。
私が持つシズル感に理由をつけるならば、家にいるのに店で飲むような特別感と言えるだろう。
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店で並々にビールを注ぐ習慣は、17世紀のイギリスで泡を多く入れて誤魔化すことが問題視され、グラス上部の線より上まで液体を注がねばならなくなった法律がもとになっている。
日本酒に関しては、升に注ぎこぼすことがサービス精神に繋がったかららしく、いずれにせよ量が多ければ良いという価値観に基づいている。
最近は「量より質」であり、銘柄がウリのお店は注ぎこぼしたりしない。並々に注がないクラフトビールのお店もあったかもしれない。時代は変わる。
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自分で注ぐようになった娘が「たくさんの牛乳が飲める」ことに特別感を覚えているのかもしれない。そうだとすれば、いずれは娘にとって牛乳が希少でなくなり、放っておいてもやめるだろう。今くらいは目くじらを立てなくてよいと思えてきた。
さておき、物心ついた序盤から「パパ嫌い」と言うてきた娘ではあるけれど、何かにつけて私の真似をする。
妻が「パパの真似するなんて、パパが好きなんだね」と言うとピタっとやめる。素直じゃないけど、本当は「なりたい存在」なんだろうと受け止めている。
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