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FB投稿する殴り書き読書感想文
私は本を一冊最後まで読み通すとFacebookに「読了」とともに読書感想文を殴り書きする。実際にお会いした相手から「どうやって書いているの?」と話題に触れていただいたり(実は嬉しい)、「せっかくならblogに付ければ良いのに」と助言をいただいたりもする。改めてこの話を書く。
どんな感想文だったっけ
だいたいこんな感じ。肌感として友人の95%は興味ないので、タイムラインに流れてきて不快にならない心遣いとして写真を添えている。比較的イイネ数がマシな投稿を選んだけれど、たぶん写真のおかげ。ペース的には年間50読了程度を何年か続けている。
哲学史の中でも異彩を放っていると感じ「ニーチェ入門」を読了。それまでの思想のどこに一石を投じたのか?という縮尺から、ニーチェ先生の生涯という縮尺へ降りんとする。さらに入門の次には著作ごとの世界が広がっていそうで、知の世界の底の無さに立ちすく...
Posted by 小田 哲也 on Thursday, August 13, 2020
読むのと同時に書いている
「どうやって書いているの?」について、私が読書感想文を殴り書く過程を書き下すと以下のようになる。注:「私はこうしている」というだけで、正しい方法でも何でもない。
1.本の途中で気になった言葉や文章に出会うと、スマホにメモする。この時点では言葉の断片。
2.スマホを開く隙間時間があれば、殴り書いた言葉の断片を文章にする。
3.文章どうしで関連性あるものを並び替えて集め、パラグラフをつくる。
4.読み返して文章として成立していたらFacebookに貼り付けて投稿。
時系列として「読了して→感想文を書く」ではなく「読む↔書く」を何度も行き来して、読み終わるタイミングで殴り書きが完成していることも多い。
「どうやって書いているの?」を聞いていただく背景として、「そもそも読書の習慣化が難しい」と「アウトプットの習慣化が難しい」があると予想している。この答えが「動機付けにSNS投稿している」と「読むと同時に書くことをアウトプット習慣にしている」になる。
感想の断片をB型文章化している
上の読書感想文を書く過程は、KJ法のB型文章化を意識している。note内で探すと以下の投稿がビジュアル的に流れが把握しやすそうだった。言葉の断片を並び替えて繋げるイメージ。
KJ法原理主義者からは「これは1ラウンドの流れであって、本来はW型問題解決の中に位置づけて何ラウンドも繰り返すべし」とお叱りを受けるだろう。理想を目指すと底無し沼だけど、外部(本)から得たことを創造的に結び付けて自分の文章として出力する訓練をするという面もある。
余談ながら、川喜田先生の愛弟子にあたる國藤先生と2泊3日くらいのKJ法ワークショップには参加したことがあり、たいへん刺激的だった。これでも短縮版で、本来は1~2週間泊まり込みで意識朦朧するまで考え抜いて、やっと仮説推論ができる。2~3時間でアイデア出しする時も、本来のKJ法の感覚は忘れずにいたい。
フロー情報とストック情報
ご意見いただく「せっかくならblogに付ければ良いのに」については、過去に試みたこともあったけれど違和感を持った。おそらく、私が読了と同時に書きあげる読書感想文の殴り書きは「ストック情報」ではなく「フロー情報」なんだろうというと捉えている。この辺参照。
読んで体験した気持ちを勢いのまま殴り書きしているだけなので、本棚にしまうよりは瓶に入れて海に放流する感覚に近い。今後も読書感想文はSNSに放流し続けると思う。
とは言え、せっかくnoteを付け始めたので何かしらnoteにも読書感想文を書きたい構想はある。前提として何かに役立てようと読書している訳ではないだけに、生きる中で読書が役立つ瞬間があると、期待に反して嬉しかったりもする。読み終えてからしばらく置いた本の内容で、実践が続いているものや役立った話をnoteに残してゆきたい。
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