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【読書感想文】 身分帳 佐木隆三著 人生は全て未完なのかもしれない

こんにちは。

すばらしき世界がとても良かったので、原作を読んでみたくなりすぐ買いました。

映画を見てから、原作を読むパターンはおそらく初めてでした。

原作はノンフィクション小説ということで、より淡々としていて、だからこそ余計に生々しく、ああ、一人の人間の人生を読んでいるんだなと深く感じ入りました。

映画はもちろんエンターテイメントなので、もう少しなんと言うかコミカルさもあり、すこし脚色があって、原作ではそこまでフィーチャーされていない人間が中心に置かれてたりするんだな、と言う感じでした。

映画では役所広司さんが主演なので、勝手に主人公の山川(映画での名前は三上)60歳くらいと思ってたのですが、出所時45歳という若さだったようでまた印象が変わりました。(多分ちゃんと映画見てたら年齢のこともわかったと思うんですがあんまり気にしてなかった)

映画ももちろんとても良くて、原作に忠実で「ああ、このシーン映画で見たな」というところがたくさんありました。

ただ、映画と原作は別物とした方がいいというか、映画と原作は感じるものが全然違いました。

そして多分この作品は、原作を読んでから映画を見るよりも、映画を見てから原作を読んだ方が一段面白い気がします。
※個人の感想です。

映画で埋めきれなかった自分のくすぶる思いを、原作で答えあわせしていくというか、、埋めていくような思いで読みました。

ここから先、ネタバレを含みますので、映画も原作もまだの方はお気をつけください。

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小説は、身分帳の内容と、主人公の山川一(=田村明義)が長い懲役を満期で終え出所してからの日々の出来事を織り交ぜて進んでいきます。

病気を患いながら、社会に溶け込みたい一心で、もがく山川の日々の生活が、淡々と描かれています。

映画を見て感じたことは、本の表紙にある通り「この世界はいきづらく、あたたかい」みたいな、この世界も捨てたものじゃないな、という感情だったのですが、本を読んだで巡った想いはだいぶ違いました。

山川の過去を知ってなお寄り添ってくれる人たちはたくさんいるし、山川に対してとても純粋なだけにすぐカッとなって面倒を起こしてしまうのかもと同情してしまう気持ちもあるのは映画と同じなのですが、

山川という人間の精神鑑定結果が出てきたり、それにあたっての尋問の内容が描かれていたり、対して些細な日々の生活のことが描かれていたりと、表面は淡々としながらも深く人間や人生、社会というものに潜りこんているような感覚があり、

暖かい気持ちとかそんな一言で表せる気持ちではない、複雑な感情がずっとつきまとっていました。

なにかずっと、私も真剣にこの物語と向き合って、きちんと何かを考えなければいけない、そんな想いでした。

映画の中では庄司弁護士のセリフでしたが、原作ではケースワーカーの方がおっしゃるセリフで、「山川さんは何にでも真剣に向き合い過ぎている」といったような言葉があります。
もっとみんな適当で、いらないものは切り捨ててるんだよって。

私も基本的にそのようなスタンスで生きています。
ただ、山川の目線で社会を追っていくうちに、彼があまりにもいつも真剣なので私も「何かを考えなければいけない」と感じたように思います。

きっと、正直なところ日常生活で出会っていたら私は彼を「面倒な人」で片付けてしまっていたと思いますが。

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私はずっと、山川のモデルとなった田村という男が、どれだけ純粋で義理堅くチャーミングだったとしても、なぜこんなにもたくさんの人間が彼の更生のために、手を差し伸べるのか、ということが疑問でなりませんでした。
スーパーの店長さんなんて本当にいい人で、何度衝突しても山川を思って、お金を貸してくれたり、大切な肩身を持たせてくれたり、普通なら言いたくないような苦言もちゃんと呈してくれる。

その答えは、小説の最後にありました。

この小説の最後「行路病死人 小説身分帳補遺」にて、絆と言っていいのかわからない、でも間違いなく絆であろう、著者佐木隆三さんと田村明義(=山川一)の関係性が深く描かれています。

彼は、出所から5年を迎える4ヶ月ほど前に、アパートの一室で一人息を引き取りました。死因は病死です。
※出所から5年警察のご厄介になることがなければ再犯扱いではなくなるため、とても大きな意味があるそうです。

彼は身寄りがないため、佐木隆三さんがお葬式を出されたそうです。

この中で彼に関わった様々な人間が出てくるのですが(スーパーの店長さんも実在されていたのですね)、もしかしたら皆、彼を近所のやんちゃ坊主のような気持ちて見つめ、愛していたのではないかなと思いました。

子供のように、というと距離が近すぎる。
でも程よい距離で、間違いなくそれは愛で、彼の純粋さが正しい方向に向かってのびのびと彼らしく生きてくれることを心から望んでいたのではないかなと。

それほどやはり魅力的な人物だったんでしょうね

シャバに出てからというもの周りの人間に小言ばかりいわれるわ、病気で働けず生活保護のため肩身は狭いわで、すごく窮屈な思いもされていただろうとは思いますが、それをきっと彼も周りの人からの愛や優しさであると感じていらっしゃったのではないかなと勝手に思いました。

だからこそ、4年8ヶ月もの間、彼は犯罪の一つも犯さなかったのです。

「行路病死人 小説身分帳補遺」だけでも本当に読む価値があると思います。
ちょっとしたあれそれで、もしかしたら田村が実は出所後に何かやらかしていたのかも?という可能性が浮上した時に、佐木さんがとてもヤキモキというかモヤモヤされる場面があります。そしてその疑いが晴れた時に「気が軽くなった」そうです。

これだけで佐木さんが田村さんに対して抱かれていた思いがほんの少し感じられるような気がします。
友情とか情愛とかそんな脆いものじゃない、もっと細くて強い何かの繋がりがお二人の間にあったのではないかなと思いました。

映画だと仲野太賀くんが演じる津乃田が、主人公三上と深くつながるキーパーソンなのですが、原作では角田(原作はこの表記)は、そのような登場の仕方ではなく、ただの同じアパートの住人です。

映画の中で、三上の物語を書くと約束した津乃田。三上が亡くなって「困る」と泣いた津乃田。
田村さんと共に彼の身分帳を作品として世に送り出した佐木さん。

多分、映画における津乃田と三上は、原作における田村さんと佐木さんだったのではないかなと勝手に思っております。

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小説「身分帳」は、山川が東京から福岡へいくことを決めたところで途中でぷつり、と終わってしまいます。

なんだか本当に突然終わってしまったというか、未完の小説のようだなとその時に思いました。

その後のことは「行路病死人 小説身分帳補遺」に詳細が記載されているのですが、なんだか私はずっと小説「身分帳」の終わり方が心に残っていました。

なんでかなと考えていた時に、でも人生の終わりってきっとこんな風に、突然ふつり、とくるんだろうなと思ったんです。

いつ死ぬかわからない、とかそうゆうことではなくて、

人の人生に筋書きもストーリーもないから、ただ毎日を生きて重ねていって、それが突然ある日終わるんだなと改めて感じました。

完璧な幕引きや完全な終わりなど存在するはずなく、ただふつり、とそこでお話が終わるように人生は幕を閉じる。

人生は全て未完なのかもしれない、と思いました。

残された人たちが、勝手に人生を完成させるだけなんだろう。

でもだから、人生はふつりと終わるから、人生のゴールは死ではないよなと改めて思った。

生は死で終わるけれど、人生のゴールは死ぬことではなく、もやは人生にゴールなんてなくて、ただ日々を生きて、どこかいつかに死があるんだろうなと。

でも、彼が生きた証はこうして残った。
佐木さんも庄司弁護士も亡くなられてしまったそうですが、本になって、映画になって彼が生きた証はくっきりと刻まれた。

短かった分だけ、長い時間を刑務所で過ごした分だけ、強烈な印象を残して彼の人生はある日突然幕をおろしたのかもしれません。

うまく言えないけれど、この人生って、ふつり、と終わるものだよなっていう当たり前のことが、心に残った作品でした。

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この本は、人によって感じることや、印象に残る部分がかなり違いそうな本だなと思います。

普通に刑務所内のルールや制度のことを知るという点でも興味深くはありますし、昔の刑務所がいかに劣悪な環境であったか、戦後の混乱で大変な思いをした子供たちがどれだけいたか、どのような環境で彼らは犯罪に手を染めることになっていったのかなど、多くのことを学ぶこともできます。

とても勉強にもなりました。

そこから感じること、思い直すこと、今後の人生の糧にすることが人それぞれ違うだろうなと思いました。

5年後に読んだらまた、私も違うことを感じる気がします。


それなりに長い本ですが一気に読み終わるので、ぜひ気になる方は読んでください。


それではまた。


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