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【読書感想文】 ヒトでなし-金剛界の章- 京極夏彦著:人を救うのはヒトではない

こんばんは。

「死ねばいいのに」に続き、京極作品2作目となります。

「ヒトでなし」を読みました。

百鬼夜行シリーズがずっと気になっているものの、書店でその分厚さに驚愕し、「死ねばいいのに」に続いてこちらを読ませていただきました。
※分厚い分厚いとは聞いていたものの、そんなレベルじゃなく、後ちょっとで立方体じゃね?くらいのサイズだった

「死ねばいいのに」を読む前は、京極夏彦=妖怪もの、長い みたいなイメージしかなく、なんか小難しそうだし読むのしんどそう、、と思って敬遠してたのですが、個人的にはめちゃくちゃ読みやすいです。

長いのは長いんですけど、基本的には内面と対峙してる時間が長くて、そこにスポットが当てられてることが多いので読みやすいのかもしれない。

わたしは簡単そうなことに理屈をつけて難しく考えるのが好きです。
なぜそうなのか、の理由がすべてに欲しいので、京極さんの作品はそうゆう意味でとても心地が良いです。

今回においても特にメインのキャラクター二人がめちゃくちゃ理屈っぽくて、とても長いこと同じ事象について議論しまくるので、その欲望はとても満たされました。

あと基本的に場面も、人も、考え方も、誰も何も変わらなくてずっと同じこと繰り返してるというか話がなかなか前に進まないイメージがあります。
ただそれが話の展開が遅くて不愉快、とかはなくじっくりじっくりじわじわと物事を煮詰めて行っている感じ。

そして私が何よりも彼の作品で好きなのは(2作品しか読んでませんが)、主人公が、他人の偽善や欺瞞や迷い見透かしてそれをとんでもなく強い言葉でバッサバサ斬っていくところです。

ある種爽快であり、時にとても身につまされる。


ここから先はネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください!

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あらすじを書くのがとても難しい。

娘を事故で亡くし、妻にも見捨てられ「ヒトでなし」と罵られ、全てを捨てた男(尾田)。
彼は何も変わっていない。何もしていない。
にも関わらず、借金まみれの友人(荻野)、橋で出会った自殺志願者の女(塚本)、人殺しのチンピラー、一人、また一人と人間として「普通じゃない」人物たちが彼の元に引き寄せられていく。

尾田は、娘を事故で亡くすんですが、それをきっかけに自分がヒトでなしであることを自覚します。

ヒトでなしならば全てどうてもいい。本当に関係ない。生きていたい訳でもないが死にたい訳でもない。死なないから生きているだけ。痛いのは嫌だが死にたくない訳じゃない。死ぬのは構わないが痛いのは嫌だ。

ヒトとしての全てを失い、街を彷徨っていた尾田は偶然にも高校時代の友人、荻野と再開します。
荻野は詐欺まがいの投資事業に失敗し、多額の借金を抱えまた各方面の投資家から恨みを買い、自分のことを虫ケラ、クズだと言います。

荻野との出会いをきっかけに、なんやかんやあって彼の祖父が持つ、俗世の人間は誰も寄り付かない、社会から切り離された寺に身を寄せることになります。

尾田は何もしない。
全てどうでもいい。全員煩い、黙れ。
そう思っているにも関わらず、その彼のおよそヒトではないような振る舞いに、周りの人間は勝手に彼に「救われた」といい、感謝をしてくるようになります。

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一貫して書かれているのは、とにかくコミュニケーションなんて勘違いで自分の思い込みだし、全て自分の心の中で起きてるだけ、視点が変われば全て変わる、ということです。(だとおもいます)

実際に、尾田は最初から最後までほとんど(いや全く?)変わりません。
言ってることもずっと同じで、何もかもどうでもいいと思っていいて、もう他人に悲しみの感情をアピールするような気もなく、
自殺志願者に対して「死にたいなら早く死ね」と平気で言い放ちます。

にも関わらず、周りの勝手な解釈で見え方が変わってくる。
実際に読者からしても、最初のうちはなんかただの暗くて理屈っぽくて鬱屈としててなんかちょっと穿っためんどくさそうな感じ、、と思うのですが、だんだんなんか途轍もない修行をして自分の全てを捨てた修行僧の発言のように思えてくる。

人には人は救えない。
人を救うのはヒトではないもの。
だから人でなしくらいがちょうどいいんだ。

うーん、興味深い。
でも本当に面白くて、後半も字面だけ追ってたらロクでもなくて普通じゃないことしか言ってないのに、でも解釈次第で説法のように聞こえてくる。

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物語の後半で、一人の青年(といっても30歳)が親から手に放り込まれます。
しかし、それが尾田の娘を殺したまさに張本人であることが発覚します。
※連続幼女殺害犯だった

しかし尾田は動揺しない。娘はもう俺の娘じゃない。こいつを恨んだって何も戻ってこない。

ただ、自身の犯罪を自慢げにあけすけに語り、また女児を殺したいという青年に周りの人間は苛立ちを募らせていきます。

荻野を含め、激昂し青年を罰しようとする周りの人間たちに、尾田は「お前たちには何も関係ないだろうが」と言い放ちます。
そう、娘を殺されたのは彼らじゃない、じゃあ青年が反省すれば殺された子供達は帰ってくるのか?いや、何も関係ない。

ただ、荻野たちは「絶対に赦せないんだ」と言います。
誰がと問うと「俺がゆるせないんだ」と。

赦さないのはお前の勝手だ、ただそれはお前の中だけの話であって罰していい理由にはならないだろうと。お前はずいぶん偉いもんだなと言い放つ。

このシーンを読んでる時に、おっしゃる通りすぎで何も言えねえなと思った。

最近の炎上騒ぎ、ネット上のリンチもそれに近いような気がしました。

そもそも私たちは赦す・赦さない権利すら保有してない。
なぜなら当事者でもなんでもないから。
他人を罰することができるほど大した人間でもない。

ただ、自分がそいつを赦せないんだという自分の感情を処理しきれずに、それを相手にぶつけているだけ。

自分が、自分が、自分が。

自己ばかりが肥大化して、その自己の感情を処理しきれない。

ずっと、きっと、なにも関係ないんだよな。

知らない誰かを許せないのは、
自分の過去の経験と、重ね合わせているからだけかもしれない。
自分の虫の居所がただ悪かっただけかもしれない。

きっとずっと何も関係ないんだ。

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尾田は最後に、涙を流して拭い、全てを失い本当の人でなしになります。
赦す立場になどない。俺は俺ですらない。すべてをあるがまま受け入れるだけー。

学習しても修行しても人は変わらない。禅僧の坊主が坐禅を組んで修行をして悟っても、終着点ではない。悟りは得るものでも至るものではなくあるもの。だからまた捨てて座る。終わりはない。根っこはかわんねぇと。

尾田の祖父である老坊主がそのようにいってた。

前半で、尾田も、昨日は今日の続きでしかなくて24時間くらいで何も変わったりしないのに、寝て起きたら変わったような気になってる、といってた。

本当にその通りで、周りも世界も何も変わっちゃいなくて自分が変わった気になってるだけで。

でも、世界なんて自分だけのものだから、勘違いしてしまう。
だから外の世界を見ないといけないんだろうな。
でも外の世界を見すぎてヒトと比べて自己が肥大化してしまうこともあるし、もう本当に人間って難儀なもんですな。

これに思い至った時に、ヒロアカのかっちゃんを思った。(突然アニメぶっこむ)
彼ははじめ、自分の世界、自分が正しいと思うものしか見えてなくて、外を見ようとしなかった。
でもだんだん外の世界に触れてゆっくり変わっていくんだよな。
でも根っこはブレないし変わんないんだよな。

だから、根っこが変わらないのって悪い方に行ったら問題だけど、いい根っこはブレないほうがいいし、難儀なもんですな。

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多分これはヒトと、宗教と、自己と内面の話なんだと思う。

宗教のことはよくわからないけど、それでもめちゃくちゃ面白かったです。

人の内面、結局何もかも自分の心の中で起きてることなんだよなという考えを少しでも持ったことがある人はめちゃくちゃ面白く読めると思う。


簡単なことを難しく、最終的にはシプルに、すべてのことを理由をつけて考えたい方におすすめです。


それではまた!



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