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らしさの武装と嗅覚 5


おめでとうと言われる。ありがとうございますとお辞儀をする。エレベーターホールで、通路で、今週は見知った誰かに会う度、たぶんこれの繰り返しになる。

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「おめでとう」は、特別な言葉だから、言われた方は嬉しいに決まってる。ずっとそう思ってた。だから私も、そんなに親しくない人にでも、おめでとうぐらいは言わなきゃって、頑張ってた。でも今回、言われる側になってみて、ちょっと違うよなぁって思い始めてる。

圧倒的な祝辞のはずの「おめでとう」を色んな人に言われてるうちに、朝夕や時候の挨拶と大して変わらないように思えてくる。
相手がそんなに親しくない人だったりすると、貴方に興味ありますよ!、近況もチェックしてますよ!って、アピールをされてるようで、えっ、どうして?ストーカー?!ってちょっとゾッとする。心底祝う気持ちがないなら、簡単にそんな言葉を吐くなっ!そのラインからこっち側には来るなっ!同じ輪の中に入ろうとするなっ!て、たまに拒絶したくなる相手がいることも確か。でも、一応社会人だから、そんなこと絶対口にせず、ありがとうとは言うし、たぶんこれは自意識過剰。

結婚なんて完全なプライベートなのに、どうして晒さないといけないんだっていう気持ちがある。今回は(って何度も結婚する気なのか?私は)社内結婚だし、手続き上黙ってるわけにもいかないから、上司と人事にはあらかじめ報告しなきゃってだけなのに、お目出度いことだからなんて、勝手に広める人がいる。まぁ、遅かれ早かれバレることだし、その辺りは、もうどうでも良くなってきてた。


結局、本人たちは、目出度さを味わってる暇なんかなくて、色々天秤に掛けた結果、入籍しておいた方が後々面倒臭くないかもってだけで、2人の中で何かが大きく変わるわけでもない。仕事も家もそのままだし、どちらかというと、私は生活を変えたくなかったから、早めの入籍を選んだのに、ここのところずっと書類と手続きのバトンリレーに参加させられている感じで、ほとほと疲れる。早く片付けて生活を戻したい。

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長野君のフロアには私も一緒に寄って行くことにしていた。その結果、社内をあちこち一緒に歩いて、挨拶攻撃を受ける羽目になったんだけど。でも、関係各所への挨拶と報告は、2人揃って一度に済ます方が絶対早得。

フロアに入ってすぐマネージャーに報告した。案の定、おめでとう、これからもよろしく、ってさらっと言われてお終い。感情があるんだろうかと疑いたくなるぐらい、この人はいつもフラット。

長野君のデスクはフロアの真ん中辺り。途中で目があった同僚と軽くお辞儀を交わしながら進むと、麻奈ちゃんが奥の方で手を振ってるのが見えた。彼女とは長野君繋がりで何度も遊んだことがある。仕事で絡むことがほぼないから、先輩後輩のしがらみを感じなくて良いし、同い年だから話も合う。

麻奈ちゃんに手を振り返してると、長野君が横で苦笑いをしている。そりゃそうか、ここは貴方の仕事場だった。笑

彼の直属の上司は、席を離れているみたい。面倒だけどまたの機会にするしかない。とりあえず、抱えていた封筒を彼のデスクに置くと、麻奈ちゃんが、目をキラキラさせてこちらを見ている。何か話しかけたくてしょうがないって感じがびんびん伝わってくる。楽しい子。笑

また、遊びに来てね。特に何も代わり映えしないけど。と告げると、

ありがと。いやいや、先におめでとうだったね。って、何がめでたいんだか、私にはよくわかんないけど、なんか嬉しいのだけは確かだわ。お祝い考えなきゃだ!

そう言いながら麻奈ちゃんが笑った。確かに、ホント何が「おめでとう」なんだろうか。結婚や入籍することで、映画みたいに「完」とか「fin」とか出て一件落着するならまだしも、どちらかと言うと、緞帳が上がってよーいドン!って感じ。ま、私たちはもう一緒に住んでるから、スタートは切っちゃってるんだけど。

ほんとだよね。何がめでたいんだかね。私らは、なぁんも変わんないから、これからもよろしくね。

ふんふんと相槌を打つように頷いていた彼女が、最後にピシッと敬礼をしてきた。麻奈ちゃんだなぁと思いつつ、敬礼のお返しをして顔を見合わせながら笑った。

その間、封筒から書類を出し、一枚ずつ確認する彼。たぶん、今日の夜には全部記入済みになるだろう。彼のこう言うところが私は好き。

麻奈ちゃんの横で、結城君がこっちに向かって胸の前で小さくピースサインをしてる。恥ずかしいなら、しなきゃいいのに。一応祝ってくれる気持ちはあるようだ。ありがと と口パクでお礼を言うと、色々面倒臭いのに決断したのは偉いだの、俺は当分いいだのと言いだす始末。そりゃあ、貴方は色々面倒だろうねともこの場では流石に言えないので、笑って誤魔化す。田舎の彼女もそうだけど、長野君から聞かされてる他にも色々ありそうで、私にはさわれない案件。

すると、こんなのも書くんだぞぉと、彼がわざわざ結城君に向けて書類を見せたりするものだから、男同士で妙に盛り上がり始めてしまった。結婚する気もないやつに見せてどうするの?と思わなくもないけど、好きにすればいいやと横目で見ながら、麻奈ちゃんと肩をすくめて笑うしかなかった。

麻奈ちゃん越しに、富岡さんの背中が見える。少しは静かにしてくださいと注意してこないだけマシなのかもしれないけど…。こっちの話は聞こえてるはずなのに、微動だにせずデスクに向かってるのが、反対に怖くなってくる。

ちょっと、挨拶してくるね。と耳元で呟くと、誰に?と彼が不思議そうな顔をした。私が軽く顔を富岡さんに向けると、彼は小さくため息をついた後、極々小さな声で、お好きにどうぞとだけ言った。


今良いですか。声を掛けると、漸く富岡さんが顔を上げた。表情は特にない。

この度、長野保ながのたもつさんと入籍する運びになりました植野彩うえのあやと申します。今日はそのご報告を兼ねて、お世話になっている方々にご挨拶させて頂いてまして……

今日、彼と2人で何度も繰り返した台詞を、ほぼ自動的に吐く私。業務連絡を聞いているかのように、無表情のままの彼女。

これからも宜しくお願いします。までを無事言い終えて軽く頭を下げ、また彼女の目を見る。いつの間にか立ち上がっていた彼女が、それはおめでとうございます。こちらこそ、これからも宜しくお願いしますと言い、黙って私の顔を眺めている。たぶん、二の句が継げないのだろう。共通の話題もないし、私と彼に関して聞きたいことも特にはないだろうから。私も会話を続けるために、こちらから話題を提供する気なんてさらさらない。あくまで挨拶。

では、仕事がありますので失礼します。と言って彼女の前を辞した。背後から彼女が席に座りなおす椅子の音が聞こえる。彼が不安そうな顔でこちらを見ているので、ニコッと笑っておいた。


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彼とは、先輩有志が設けた歓迎会で出会った。2人とも、とりあえず顔出ししとくか…って言う感じで参加したのが切っ掛けだから、人生の転機ってどこに転がってるか分からない。
短大や四大卒が多い職場で、彼は学歴で私を区別しなかった数少ない人たちのうちの一人だった。

学生時代の経験がそのまま社会で通用するなんて、今はもう誰も思ってないんじゃない? 彼はそう言って笑った。けど、そうじゃないんだよ…、最初のうちは。学生時代の話で盛り上がってるなか、履修がどうとかゼミがどうとか…。話に入れずにいると、え?高卒なの?短大も行こうと思わなかったの?なんて、言われるのは当たり前で、それからも、せめて短大ぐらいは出てないとねぇ~なんて、事ある毎に言われた。今となっては、そんなことに引っ掛かってた私もどうかと思えるんだけど、当時はそんな風には思えなかった。自分で自分を貶めてたのもかもしれない。

そんな時に、今をきちんとこなせて、先に繋がればいいんじゃない?今だって僕より仕事分かってるじゃんって、彼は笑ってくれた。確かに…。そういうのが、ちっぽけでくだらないと思えるようになったのも、彼のお陰。
幸い同じ部署の人たちは良い人だし、後輩も可愛い。許される限りこの職場に居ようと思ってる。結婚で退社なんて、お伽話のようなルートは今の私にはあり得ない。

長野君を通して、麻奈ちゃんや結城君とも親しくなれたのも救いだった。同期だって言うだけで、こんなに気楽に付き合えるこの三人が凄いのか、最初に私の周りにいた年の近い先輩や、同期だということすら認識していない人が異常なのか、今はもうどうでもいい。会社は、友達を探す場所じゃない。私が彼や彼女らにここで出会えたのは、奇跡に近いと思ってる。







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