喉元過ぎて思うこと

「今が一番可愛い時だから。」
「思い返せば懐かしくなるから。」
子育て真っ盛り中に、こんな感じのことをおば様たちによく言われた。たいていのおば様たちは、親愛の情?懐古の情?を浮かべた微妙な笑顔を湛えていた。アタシはアンタの味方だからね…って空気を醸し出して。
そんなことで怒っちゃだめよ。とか、小さなダメ出しをされることもあった。
そうですかぁ~…なんて曖昧な笑みを浮かべて返すのが精一杯。同じ時を過ごしてきたのなら、黙って見守っててくれよ…と心の底で思っていた。
これらの言葉のうしろには「だから今は我慢しなさい」が、もれなく付いて聞こえてくる。

今が一番可愛い盛り。あの頃は可愛かった。
なんていうのは、子育て当事者が感じればいいことで、ほんの一瞬の垣間見の他人様に言われる筋合いはない。
…と、心がササクレだっていた。

昔作って唯一覚えている奴。子ども達の楽しいことを共有してあげられずに、日々無難に過ごすことに必死だった頃。あの頃の自分にダイジョウブだからって言ってやりたい…ホント。

ともかく、こういうおば様にはならないようにしよう、したいという気持ちだけはある。そう、気持ちは。

泣いたり愚図っている赤ちゃんや子供に不快感を示さないのはもちろん、子どもをあやす行為にでることも控えている。見ず知らずの人間が関わってくることで事態が悪化し、結局親御さんを更に窮地に追い込むことが無いとも限らない。これは、激しい人見知りの子どもを持っていた親の本音…。

出来るのは親御さんに微笑みかけるぐらい。大丈夫ですよ…っていう気持ちを込めて。運よく目が合ったら出来るだけ小さな声で、「眠いのかな?」とか「大変ですよね」とか当たり障りのないことを言って、後はそっと目を逸らすようにしている。気にしてませんよ、気にしなくていいですよって伝えたくて…。
まぁ、お相手にどう取られているかは知らないけど…。完全な自己満。

子育ての環境は目まぐるしく変化する。情報が溢れ便利になっていっている反面、制約も選択する手間も増えているような気がする。
自分たちの頃に当たり前だった方法が、当たり前じゃなくなることなんてザラにある。アップデートされていない知識を最新のデータをあれこれ模索している世代にぶつけること自体が間違っているんだから。まず、そのことに気付きましょうよって話。

男の子だから女の子だからで性格は分けられないし、物静かな親の元に物凄く元気な子供がいることだってある。よく言う「誰に似たんだ?」ってやつ。

子どもは親のコピーじゃないからね。
以前、子の考えていることや行動がわからないと愚痴る知人に、こう言って驚かれたことがある。
彼女は、「子どもって親のコピーでしょ、どちらかに似るもんでしょ?」って。この言葉には物凄く驚いた。コピーだと思ってたのかい。キミは…。

子どもは親の持ち物でもないしね。
彼女は「え?育ててるんだから持ち物みたいなもんでしょ?」って。これまた驚いた。所有してるんじゃないんだよ。だいたいモノじゃないでしょっ!って話。

…なんて偉そうなことを書いているけど、これも全て通り過ぎてしまったから思えることで。台風一過に居るから言えるだな。
過ぎ去った日々を懐かしむのは結構。でも、それを真っただ中の人に重ね合わせて吐き出しちゃダメだと思う。アドバイスという薄い膜で覆われた最強のパワハラになってしまう。
ゼネレーションギャップって言うんだろうか?こういうのも。確かに昔ながらのモノで良いものも沢山あるけれど、肝心なのはどう伝えるかなんじゃないだろうか。そう思う今日この頃。

20代前半に子育てを始めたせいで、母親が若いからという理由で後ろ指をさされたくないために踏ん張りすぎたかもしれない。子ども第一じゃなかったかもしれない。もっとやれることはあったんじゃないか。

と、今頃になって思う「喉元過ぎれば…」でした マル
親もニンゲンだ…。うん。

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