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らしさの武装と嗅覚 10


私のせいかなって思って……


そう言う田中さんのまばたきの回数が半端ない。緊張してるからなのか、それともただの癖なのか、その区別が出来るほどまだ彼女のことは知らない。

田中さんのせいってことは、ないと思うよ。私の声に大袈裟に、こくんこくんと縦に首を振る。ですよね?そうですよね?と言う言葉の代わりみたいに。


・・・・・・・

彼女と知り合ったのは、2ヶ月ぐらい前だったと思う。遅めのランチに行こうとフロアを出たところで、真っ赤な目をした彼女を見掛けた。さっと通り過ぎるにはちょっと異様で、どうしたの?!と声を掛けてしまったのが始まり。いやいや、泣いてる女の子に声を掛けるなんて、私も大人になったもんだなんてその時は思った。

女子が静かに一人で泣いてると、ついパワハラか?!セクハラか?!って騒ぎになるから、ちょっとこっち行こうか?と、給湯室に連れて行った。誰かに意地悪でもされた?と、頑張って優しく聞こえるように声を掛けてみたら、違うんです違うんですと。はい?なんなんでしょか、これ?コンタクトがズレたとかいうことでもなさそうだしな…。

ちょいと面倒な子に声かけちゃったなと思ったのは、彼女があの富岡さんの下にこの春入ったばかりの子だと聞かされたから。席が離れてからの穏やかな時間に少し慣れ始めたところで、久々に聞く名前に、おぉっ!てなったのを覚えてる。


・・・・・・・

今日は、彩ちゃんも一緒。田中さんから誘われた時に、なんとなく声を掛けたんだけど、誘って正解だった。

私も麻奈ちゃんと同じで、田中さんのせいじゃないと思うよ。で?今はどう?仕事楽しい?

彩ちゃんが何気に話をすり替えてくれた。まだ楽しいかどうかは分からないけど、することがあるので嬉しいと、田中さんが笑った。そうかそうか、それは良かった。私と彩ちゃんは顔を見合わせ笑った。田中さんほどは笑えなかったけど。今までどれだけ放って置かれたんだよって。

しばらく、女子らしいコスメやファッションの話を彩ちゃんと田中さんがあれこれ楽しそうに話してるのを、ただ横で聞いているだけの私。沢山のカタカナ語が出て来て、さっぱりわからない…。そんな感じで2時間弱を過ごしてから、じゃぁまたねぇ、と田中さんとは別れた。彼女が交差点を曲がるのを確認してから、もうちょっと飲まない? と彩ちゃんが言った。私も消化不良というか、喉に何か引っ掛かった感じがしてた。田中さんとは反対側の方に少し歩いて、角を曲がった先にあった店に2人揃って入った。

彩ちゃんはどう思う?席に着くなり私が尋ねると、どうもこうもないんじゃない?なるようになったってことでしょ。吐き出すように彩ちゃんが言う。

田中さんは、富岡さんがつい最近異動になったのは、自分がマネージャーに言ったことが原因じゃないかと気にしてた。それが彼女の今日の相談というか、聞いて欲しいこと。彼女自体、富岡さんのことを嫌いだとかいやだとか思ったことはなくて、ただどうしていいかわからなかっただけなんだと。そうだよね。最初に会った時に泣いてるように見えたのもそれだった。入ったばかりで仕事もよく分からなくて、でも、先輩はろくに喋ってくれなくて、たまに用がある時に声を掛けても気付いてくれなくて、何度も何度も呼んで、あまり大きな声を出すのもあれだしって悩んでると…声が小さいと叱られる。私の声小さいんでしょうか?…と、彼女の涙のわけはそこだった。そんなことで泣く?とあの時は思ったけど、毎日毎日そんな調子じゃ気も滅入るし仕方ないのかな?と、話を聞いているうちに思っちゃって…そうしたら、なんだか懐かれてしまった。

マネージャーに相談しろって言ったんでしょ?

彩ちゃんが店員に勧めらるまま頼んだカクテルにちょっと口を付けて、甘ッ!と、眉を潜めた。

うん。私にはどうにもできないしさ。田中さんの言ってることも、どこまでがホントかわかんないじゃん。

で、彼女は相談したわけだ。マネージャーに。

正確には、彼女が相談したわけじゃなくて、あちらから声が掛かったらしい。まぁ、その後どうですか?的な感じなんだろうけど。そこで自分は何をどうすればいいのか分からないとか、このままここに居て良いのかとか…まぁ、新人によくありそうなことをつらつらと話したらしい。そうしたら、しばらくして、富岡さんが異動になった。

彼女、あぁ、富岡さんの方だけど、少し前から目を付けられてたみたいよ。だから、新しい子入れたんじゃない?仕事を止めるわけにはいかないでしょ。でも、仕事はろくに教えないわ、たまに口を開けば叱るわで、田中さんの面倒見てたのは実質マネージャーだったみたいよ。最終的にやっぱりだめだってことで、田中さんはマネージャーに引き取られて、はい異動ってことでしょ?

だから、田中さんは悪くないってことか…。

最初にそんな所に行かせた会社が悪いんだよ。ヤバいって目を付けてるところに、何も分からない新人突っ込むんだから。マネージャーは、富岡さんに持ち直して欲しかったのかもね。ずっと欲しがってた仲間でもできればってことじゃない?富岡さんのことは、上司のマネージャーの監督不行き届きってことにされてるみたいよ。

だから田中さん、マネージャーの側に移ったんだ…。え?あれ?富岡さんの上司ってマネージャーになるの? 

今更何を言ってるっていう顔をして彩ちゃんがこっちを見てくるけど、私は、誰が誰の上司だとか部下だとか、聞こうとも覚えようとも思わないままここまで来た。まったく興味がないから。みんな凄いな、色々覚えて…。


そだよ。同じような仕事してるでしょ。本当ならデスクを並べてるんだろうけど、どうしてそうじゃないのかは…、彼女が入ってすぐに辞めちゃった人が何か関係あるのかもね。まぁ、私もよく知らないけど。

いや、充分よく知ってるよ…。どこで仕入れてくるのか、私よりもうちのフロアのことに詳しい彩ちゃん。

それで、富岡さんは今何してるんだろ? 田中さんのことがなかったら、気にも止めなかった。気付いたら田中さんがマネージャーの横に居て、富岡さんがフロアから消えてたのも随分後になって気付いたぐらい。それに、異動でよく見るあの紙が、何処かに貼り出されてた感じもなかった。

再来年ぐらいに、各フロアの間取りっていうの?配置とかそういうのを変えようってなってるんだって。それでその希望や意見を取りまとめる部? 部じゃないな、課なのかな? よく分かんないけど。新しくできたとこに居るらしいよ。更衣室もなくすとか言ってるし、色んな部署から色んな人が集められてて、カオスだって聞いたけど…。で、彼女は異動させられた意味をあんまり分かってないらしいって。

彩ちゃんは、そこまで言って一息つくと、たぶん、彼女はもうパソコンを使う作業には携わらせてもらえないよ。と付け加えた。

今どき、パソコンを使わない仕事ってあるのか?だいたい誰のデスクの上にも置かれてるし、資料も報告も全部パソコンありきだ。私がよっぽど不思議そうな顔をしていたんだろう。彩ちゃんが仕方ないなぁって顔で、

見ても良いけど、そこまで見なくても良いって情報ってあるでしょ。社内というか、社員共有の。そういうのよく見てたんだって、富岡さん。聞いた話だけど。それで。何やってんだ?ってなってたみたいよ。

見ても良いけど、見ても仕方がない情報?なんだそれ?私なんて、見ないといけないところも、時々見忘れて叱られてると言うのに…。

何処見てたかってバレるの?そういうの?

バレるよ。簡単に。当たり前でしょう。うぅ~ん。まぁ麻奈ちゃんだからっか。内緒だよ。社員の予定とか書いてるとこあるじゃん。スケジュールって言うか。あそこなんだって。まぁ、結城君のことが知りたかったんじゃない。

結城のっ?! 自分でもびっくりするぐらいの声が出て、思わず口を抑えた。彩ちゃんが苦笑いしてる。

ホントのところは本人にしかわからないけど。そこを見てあれこれ思ってたのかもねって、長野君とは話したりしてた。でも、彼女がそんなとこ見るなんて、それぐらいしか思い当たらないよねって。誰でも見られるんだから、外に流して価値が出るようなことなんかを書いてるわけないんだし。まぁ、仕事に関係ないところを日に何度も見るなんて、普通おかしいってなるよね。その間、仕事してないってことでもあるしさ。

これって結城のせい?いや…違うか。でも、なんだかなぁって感じで、ますます富岡さんのことが分からなくなった。もう、解りたいなんて気はさらさらないけど。優しいところもある人だったんだけど…。

済んだことはもういいんじゃない。もともと私達には関係ないことなんだし。彩ちゃんの言う通り、私たちには関係ないことで、どうしようもないことなのかもしれない。やっぱり結城のせいなのか?そこまで思い込めるものなのか?私にはわからない。たった一回のキスで…

眠れる森の美女じゃあるまいし…。

何それ?!

ぼんやり思い付いたことが、そのまま口から出て、彩ちゃんに驚かれた。

眠ってる所をキスで突然起こされたら、怖いけどな、私は。彩ちゃんがそう言いながら、小皿のナッツを口に放り込んで、帰ろっかと席を立った。

あれ?あのお姫様って、王子様とは知り合いじゃなかったっけ…。どんなストーリーだったっけ?色々忘れてく……





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