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幸せな結末。(完全マリノス視点)

2019年、マリノスは夏の移籍の炎に包まれた!芝は荒れ、3連敗を喫し、タイトルの可能性が死滅したかのように見えた。だが、トリコロールは諦めていなかった!

試合内容について書こうと何度か試みたものの、自分の中のエモが全く落ち着かず、何も書けなかった。1週間半が経ち賢者モードになったこのタイミングで、とりあえず「最終節でエモかったこと」、今年ずっと考えていた「マリノスのアイデンティティとは?」の2点について書きたいと思う。

「おまけ」に関してはイチャモンつけているだけで胸糞悪い可能性大なので、閲覧注意していただけると助かります。

◼️エモ1:民衆の歌→アンセム

問答無用で号泣。去年のホーム川崎戦以来、久しぶりにスタジアムを訪れた妻は「え?さすがに早くね?」と笑っていた。しかし妻よ、その指摘は間違ってるんだよ。夫は、優勝しそうだから泣いたわけじゃないんだよ。号泣してしまった理由は、別にあるんだよ。

(1)22,751人→63,854人
ホーム開幕戦の入場者数は22,751人。これは仕方なかったと思う。開幕のガンバ大阪戦こそ、マリノスはポテンシャルの高い試合を見せてくれたけれど、昨季は残留争いに巻き込まれていたし、たった1試合のグッドゲームで休眠顧客や一見さんが急に来てくれるほど甘いはずもない。今までの関東圏外のクラブとのホーム開幕戦の入場者数を見ても、こんなもんだろうというのは分かっていた。分かってはいたんだけど、開幕戦の内容的に「これならばもしかして今年は!」と鼻息荒めだっただけに、ちょっと悲しかった。ところがどっこい。最終節では、チームがここまで積み上げたサッカーと勝ち点の対価として、J1リーグ戦最高記録となる63,854人が日産スタジアムに。バックアッパーから眺めるゴール裏~バック自由はまさに壮観で、炊き立てホヤホヤの白米(青米?)の如くビッシリと民衆が詰まっている。なんなら湯気も見えたよね。見ろ、人が米粒のようだ!なんつって。青いけど。

(2)演出美
民衆の歌が導入された初期の演出は、お世辞にも完成度が高いとは言えなかったと思う。今とは違い、ゴールデンタイムの音楽番組ばりにサビ以外省略されていたり、歌詞がビジョンや電光掲示板に映し出されなかったり。また2014年頃まであった、選手紹介→民衆の歌の間のコールもなくなっていたりとか、運営側だけでなくゴール裏の方々も演出を良きものにしようと試行錯誤してるんだなあと感じた。そして最近、贔屓目なしに感じているのが、そんなマリノスの”選手紹介~民衆の歌〜選手入場”の流れが、2017年のアンセム導入を以て、Jリーグでもトップクラスの演出になってしまったんじゃないかということ。

(3)すべてはマリノスのために
そんな素晴らしい演出の中で、スタンドにビッシリと詰まったアツアツの青い米粒たちが、「すべてはマリノスのために」なんていう、成り立ちから何からおエモが過ぎる弾幕を、ここぞとばかりにみんなで掲げはじめる。この景色は何なんだと。見たことねえぞと。ここは桃源郷なのかと。うーん、これは泣くよね。

◼️エモ2:この街にシャーレを

エリキが2点目を決めた後。15年ぶりのリーグ優勝がかなり現実味を帯びた"時"に、ゴール裏は"この街にシャーレを"を歌い出す。もうね、何なんだと。どんだけドンズバなタイミングとジャストなシチュエーションで歌い出すのかと。それはもう問答無用で、涙の腺が崩壊しますよ。「このために歌っていたんだなとあらためて感じた」と勇蔵も言っていたけど、おそらく初めてなんじゃないかなと。このチャントが、建前を微塵も含まなかったのは。泣く。

まだまだエモポイントは沢山あるけれど、これ以降の出来事は何を書いても似たような内容かつ月並すぎて感想文にすらならなかったので、ここで終わりとする。

まあ優勝はエモいってことで。

◼️クラブのアイデンティティとは

2019年、マリノスは15年ぶりのリーグ優勝の炎に包まれた!ということで、改めて考えてみる。マリノスのアイデンティティとは一体なんだろう。堅守?伝統を継ぐ10番?カリスマOB?...そういった類のアイデンティティではリーグタイトルを取れないことは歴史が証明してしまったし、今年のリーグ優勝を待たずとも、みんな薄々は気付いていたんじゃないかなと思う。

話は少し変わるけれど、ノエルギャラガーはその昔、シティが金でACミランからカカを獲得しようとした時に、こんなことを言っていた。

「かかってきな。モラルなんてどうだっていいんだよ。アーセン・ベンゲルや奴(アレックス・ファーガソン)の社会主義的なサッカーのたわごとなんか、くそ食らえ。チームがアイデンティティを失いつつあるなんてたわごと、どうでもいいんだよ。 アイデンティティだって?俺ら、30年もの間ビンボーだったってことか?」
---BARKS(2009.1.20)より

これ、額面通りに受け取ってしまうと非常に面倒なことになりそうなんだけど、この言葉にいちサポーターとしての気持ちが全て詰まっていると考える。要は「勝利に繋がらない要素を勝手にアイデンティティにして満足してんじゃねーよ」ってことなんじゃないかと。このノエルの言葉を聞いた時、もの凄く納得してしまった。で、ノエルはこんな発言をしているけれども、同時にダリウス・ヴァッセルだって、リチャード・ダンだって、愛すべきシティの選手だと考えているはずなんですよ。サポーターとして、「愛すべき選手の存在」と「愛すべきクラブのアイデンティティ」は、自分の中で両立させなければいけないし、できるはずなんですよ。でももし、この2つが自分の中でごちゃごちゃに混ざってしまうと、サポーターとして、クラブの何を守りたいのかが分からなくなってしまうんだろうなと。それはかなりマズいのかなあと思うわけです。

じゃあ、マリノスのアイデンティティって何だ?モンバエルツが仕込んだ欧州由来のボードゲーム的フットボール?それとも、それを下地にポステコグルーが仕込んだアタッキングフットボール?今のマリノスにはまだ、その問いに対する明確な答えは持ち合わせていないと思っている。けれども、”それ”が何なのかを考えながら、意識しながら、我らのサッカーを見守りサポーター活動を続けていけば、タイトル獲得に少しでも貢献できるのではないか、マリノス再弱体化を僅かでも防げるんじゃないか、と勝手に希望を見出している。「そうだったらいいな」というただの希望的観測。

ということで、来年も「マリノスのアイデンティティとは何ぞや」ということを考え続けながら、意識し続けながら、サポーター活動を続けていこうと思う。

おしまい


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