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精神病は目に見えない


病気のある人生とはなんだろうと思う。
わたしは双極性障害の2型で、やばい状態になりがちな1型とはまた少し事情が違って、病状を伝えるのが結構難しい。

結婚相談所のプロフィールには、私は末尾にデデーンと「精神科に通っています」「一生薬を飲みます」と書いてあって、ただ、なんかそれをあんまり理解せずデートされていて打ち明けたらすごく残念な態度だった、ということがあった。
薄暗がりのおしゃれなカフェで、ニコニコと笑いながら、受け入れてもらえるかもしれないという一縷の希望をもって、雰囲気を作って質問に答えて、「率直にどう思う?」「もう帰りたい?」と聞いている自分が、かわいそうだった。

病気があることはある程度仕方のないこととして自分の人生として向き合えているつもりだ。
でも改めて、他の人にそれを打ち明けたり、婚活ではそれを受け入れてもらう必要があったりするわけで、すごくつかれる。
つらい、と打ってからつかれる、にかえた。それは、つらいと言えるところまで悲しみまでを自分の体に浸透させてしまったらなんだか惨め過ぎるからだ、と思う。

自分も自分の体に何が起こるかわからない。
でもそんなの、どんな今健常な顔をしている人だってそうなはずなのに、その確率が少し高いだけの私がこんなに気をつけていなければいけないんだろう。
こんなに引け目を感じないといけないんだろう。
世の中には病気レベルのまま医療につながっていない人もたくさんいる中で、診断がついている自分は、自分なりの「正直」をやるしかないんだろう。

何人か、早めに病について確認した上で「大丈夫ですよ」と言ってくれた人もいた。
ありがたい反面、「本当にわかっていっているのか?」と疑う視点を持ってしまう。
結婚生活で何があっても大丈夫と思うには婚活でかけられることのできる時間は少な過ぎる。
私だって相手の両親がバリバリに新興宗教にハマってたりしたら警戒する。し、たぶんお断りしてしまうと思う。
理解をしあう、してもらえたと思うためのプロセス作りが大切だと思った。

わたしはあいにく、コミュニケーションを取るのは得意だから、「そういう病気っぽくない」と言われるけれども、そういう病気らしく振る舞ってあげたほうがみんなは嬉しいんだろうな、避けられるから。
関わらなくて済むから。
そういう、意地の悪いことを考えてしまう。

受け入れ合える関係、なんだろうな、鬱持ちだった元彼にさえも私は病名まではちゃんと言えてなくて、いつか言わなきゃってずっと思ってただけだったし、(彼の方はさっさとカミングアウトして楽になってた)
こちらの問題なんだろうなと思った。
これはしばらくの課題として少し置いておく。