見出し画像

傍観と主体のはざまで


多分企画をするのが得意なんだと思う。中高生のときに、部活の打ち上げの企画で「人を盛り上げる」ことの楽しさに味をしめて、毎年クラス会の幹事もやっていた。

自分が楽しいことを思いつくと、一緒になって楽しいことをしてくれる人がいるんだ、ということが、なんとなく誰も味方をしてくれなかった小学生のクラス委員時代の自分の孤独を慰めてくれた。
そして、自分は企画の「やります」という部分と「細かい部分を取りまとめて実現する」部分の方が「当日楽しいことをすること」よりも得意だと気づくのにはそんなに時間はかからなかった。
その場で楽しいのは他の人に任せてでも、何か楽しいことを企画している方が自分らしい。それだけ聞くとなんだかものさみしい気もするが仕方ない。

大学生になって、最初にたてた企画は「サークル内の興味ある人でみんなで免許合宿に行きませんか」だ。
私のサークルはなんでも企画していいサークルで、掲示板に書き込むとそれに興味のある人が手を挙げて日程決めたりとかして実行していくゆるいサークルだった。普通にインカレだし普通に100人以上いる、そんなにまだ仲良くなってない人たちに向かって、「まあ誰でもいいので2週間どうすか」と呼びかけたのである。
一年生から三年生まで他大学も含めて9人とかかな、集まって、同じ日程を揃えて、その人数で入れるところを探して、みんなに書類を提出してもらえるように受け取りに行ったりとかして、なんとか行った。
行く日程の頃にはそこそこ何人かは仲良くなってはいたけど、みたことない人とかもいて、でも毎日めちゃくちゃに楽しかった。あいつらスマブラばっかしてたけど。私たちは毎日Anotherをみて「Anotherだったら死んでた」ごっこばかりをしていたけれど。

サークルでも幹部だったから合宿の手配とかが当たり前で、割と私はマイペースに早く寝る派なのでエンジョイするのは下手だったけど、みんなが楽しそうだなっていう目で見ていた。

最近たてたのだと、「男女混合!俺が一番可愛い選手権」としてサルートのお高い衣装や着る場所のないフェチ衣装を着て小さい撮影会をした。
これはただのレンタルスペースでやったんだけど、みんなの熱意としてはあのお高いサルートがガーター付きで4セット集まるレベルだったからもっと起きにいかずにいい場所借りればよかったなの例だった。でもめちゃくちゃ楽しかった…。お互いを解放しあえていた。
みんなから「またやりたい」といまだに言われる。


参加者の熱意を見るたびに、「こんなにやる気出してくるなら最初からお前が企画せえや、」と思うことが多々あるのだが、多分違うんだろうな。企画を立ち上げる熱量と、楽しむ熱量は違う。


今回、「拘束の天使たち」という緊縛の受け手女子の合同誌プロジェクトを立ち上げた。

https://x.com/asanawagirl?s=21&t=cuBcHtm76ergcIZT2O-PbA

最初はそんなに大掛かりな話ではなかったんだが、友達に相談してみたら乗ってくれた人がいて、さらに「プロジェクト化してみたら?」と提案してくれた人がいて、プロジェクト化してこんな文を考えた。
以下引用
こんにちは、受け手のまいです。緊縛本拠地こと、歌舞伎町に足を踏み入れてから大体3年半ほどの受け手です。

「受け手」とは、体に縄をかける側の「縛り手」に対して、自身の体をもって縛られる側の人間のことを指す言葉です。
縛り手側には「縛師」という名称で権威的な立ち位置が存在する一方で、受け手にはそのような名誉ある称号が与えられることは多くありません。緊縛ショーのチラシでは、有名縛り手の受け手は単なる「M女」と名前が書かれない場合さえあります。

本書は、そんな受け手が主体的に緊縛をたのしむ姿を記録すること、そしてその記録という行為で、自身の緊縛ライフにスポットライトを当ててよろこびの美しさを再認識すること、を目的としたいと思います。
言ってしまえば読者であるあなたのお手元に届く前からこの本は完成しているわけです。

本来であれば私たちだけで完結した世界を、あなたに対して特別にその世界を覗き見する権利をお渡しします。伝わるようになるべく業界用語には解説を入れたつもりですが、全ての心情を理解できなくとも、なんとなく心のそばに受け手女子の存在を感じていただけたら幸いです。

緊縛の世界は多様化していて、楽しみ方も多岐に渡ると思いますし、今後さらにその傾向は加速していくと思っています。2024年のこの瞬間にいる受け手たちの、確かな息吹をのこします。

引用終わり。(noteつかいこなせていない)


そしたら反響がものすごくて、最早やりませんなんて言えないところに来てしまった。
知らん人からの熱量ももろに受け止めながらプロジェクトはスタートした。

こんなに反響あるなら他の人がやってただろと、やっぱり思うのだけれども、多分他の人は焚き付けられても有頂天にならなかったりとか、他に自己表現の場を自分で持っていたりするんだろうな。
私は自分のエネルギーを誰かに使ってもらった方が輝く人間だ。よく知っている。程よく未知の可能性を持った人と楽しいことをしたい。
書こうかなと思っていたメモアプリに溜めたテーマは、他の執筆者たちの書きたいウズウズに全て譲ることにして2pだけにした。

応援してくれる人がいないと頑張れないタイプなのがバレてるのかバレていないのか、ちゃんとみていてくれている人がいる。
仲間として役に立とうとしてくれる人もいる、それもすごい話だなって思う。こういうのも才能の一部なんだと思うことにしている。


合同誌出来上がるの楽しみだな。



この記事が参加している募集

文学フリマ