見出し画像

柳宗悦と民藝性,マタギドライヴのための環世界とデジタルネイチャーの構築 #デジタルネイチャーからマタギドライヴへ 第15回

柳宗悦が光画に書いた原稿が民藝に転載されていたのを弊ラボのちなつちゃんが持ってきてくれた.

「美しい写真とは何か」
仮りに景色を写すとしよう.よい器械と,いいレンズと,経験のある写し手とがあれば万事すむと思われるかもしれない.だがそうではない.決してそうではない.
ここにいいハムレットの台本と,いい註釈書と,優れた英語学者とが揃ったとする.それでハムレットは充分読めると思われるかも知れぬ.併し文学としてのハムレットは到底それでは判らない.言語と文学とはまるで違うからである.
画家セガンティニはろくに字が読めなかったが,名文を残している.名音楽者ヨアヒムは時々音楽学校の生徒でも気付く様な音の間違いをやったと云う.してもるとものの美しさへの理解は,只器械的な知識だけでは駄目な事が分る.それも必要な事の一つではあるが,それよりもっと必要な一物がある.そうして此一物は殆どものの生死を決めるとさえ云えるのである.
同じ様な事が写真に就ても云える.「美しき写真」はいい器械と上手な写真師とだけでは駄目である.ものへの理解がなければ駄目である.ものの美しさへの見方が悪ければ,写したとて,ものは死んでいる.大事なのは見方である.理解である.美への直感である.私は器械三分,見方七分と云いたい.写真は器械であると云う.それ故人が写すのではなく器械が写すのだと思われ易い.その結果こうなる.ここに人間を離れた自然があって,それを器械が写すのであると.人は只その二つのものの間をとりもてばいいのであると.だが私にはそうは思えない.寧ろ其反対だとさえ考える.少なくともそう云う風にしてとられた写真にはあき足りない.又そう云う写真を私は「美しい写真」とは呼びたくない.
ここに自然がある.だがそれは只与えられたものに過ぎない.それが一つの内容をもってくるのは自然を見る見方が加わるからである.誰だって自然を見ている.併し誰でも同じ様に見てはいない.或者には深く或者には浅くより見えない.見ていても見ないのと等しい場合がある.又見ないでも心に深く見ている場合すらある.見方で自然の美醜がきまるのである.只与えられた自然はなまである.無内容である.まだ美しくも醜くくもない.それなら私はこう云おう.自然があるから美しいのではない.見方があるから自然に美しさが生まれるのだと.
自然を写すのが写真ではない.寧ろ自然を創るのが写真である.自然から写真が出来ると云うより,写真から自然が生れなければならない.そこ迄達しない写真には生命がない.写真は創作である.写真は写す者の見方によって創作される芸術だと私は云いたい.
ここに美しい自然があるとしよう.諸君よ,諸君はその写真以上に美しく自然を見る事は殆ど不可能なのである.美しい写真は,与えられた自然よりずっと美しい.そこ迄達しない写真はまだ充分に美しくはない.私達は美しい写真を通して自然を美しく見る事を教わるのである.いい写真は自然の自然である.そこに於て程自然の驚異が躍如として現出される場合はない.私は再び云おう,美しい写真程に美しい自然はあり得ないのだと.私達はそれを通して始めて自然を美しく見る事が出来るのである.此点ではよき絵画と同じ性質がある.
写真は真を写すと云うが,真を創ると云った方がいい.美い写真は,自然を創造する.写真の極意の一つは切り方であるが,場面をどう切れば自然が活きるか,既に此事は自然への見方が左右する事なのであって,器械が支配する事ではない.よき写真師は機械の完き支配者である.優れた器械が便利なのは,支配の自由が一層きくからとも云える.器械がいい程人間の創作の余地がふえる.
それ故美しい写真は単に外界のものの受取りではない.その写生でもなく複写でもない.寧ろそれが自然を産むのである.普通には見られない自然の美しさ迄産むのである.写真の使命はそこにあると思う.
一般には写真は単に自然の影に過ぎない位に思っている.実際そう云う下らない写真もあろうが,併し美しいものになるとそれは自然よりもっと真実である.それは新しい自然なのである.よき写真師は造り主の一人である.それ等の驚異を行う力は何か.それは単に物があるからではない,器械があるからではない.見方が造る不思議なのである.美への直感が産む驚異なのである.直感に包まれない自然は死物に過ぎない.写真は近代に於て吾々の直感を活かす重要な仲立ちである.写真の発生によって,美の世界は拡大されてきたのである.美しい写真なくして将来美の教育は不可能である.私は写真の意義の重大な事を想う一人である.
(やなぎ・むねよし)
『光画』創刊号(聚楽社,一九三二年)初出.『柳宗悦全集』第二十二巻上(筑摩書房,一九九二年)を底本に現代仮名遣いにあたらめ掲載しました.

柳宗悦・美しい写真とは何か・『民藝』十一月号 第八三九号

新しい自然について考えている.

ここから先は

2,894字
落合陽一が「今」考えていることや「今」見ているものを生の言葉と写真で伝えていくことを第一に考えています.「書籍や他のメディアで伝えきれないものを届けたい」という思いを持って落合陽一が一人で頑張って撮って書いています.マガジン開始から2年以上経ち,購読すると読める過去記事も800本を越え(1記事あたり5円以下とお得です),マガジンの内容も充実してきました.

落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で…

いつも応援してくださる皆様に落合陽一は支えられています.本当にありがとうございます.