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察する事が嫌いな僕の思う優しさについて。

お久しぶりです魔王おちょんです。

今日は僕が考える優しさについてキーボードを叩いていこうと思います。

まず一番最初にお伝えしておきたいのですが「優しさ」は完璧な物ではないので完璧に優しい行動というのは実質不可能だと僕は考えています。なのであくまで僕はこういう考え方なんです~という話で僕の考え方が最も優しくする方法というわけではありません。例えば自殺を願っている友人がいるとします。「絶対に死ぬな」って伝えるのも優しさでしょうし、「死にたければ自殺は止めないけど死ぬ瞬間まで一緒にいてあげようか?」と問いかけるのも一つのやさしさだと僕は思います。相手の発言や行動から読み取る心情のどの部分をフォローしてあげたいかに違いがあるだけで自分にとっては優しくない行動でも相手は優しさで動いている可能性もあるという事もよくありますよね。

てな感じで、前置きはこれくらいにして本題に入ります。

タイトルにも書きましたが僕は「察する」のが大嫌いです。

察するって日本的な優しさの代表ですよね。で僕は察するのが嫌いなので付き合いが浅い人とかにはよく「怖い」「冷たい」と人に言われます(笑)けど僕は人に冷たくしたいわけでも嫌な思いをさせたいわけでもないんです。

確かに「察してあげる」のは優しさである事は間違いないと思うんです。僕も嫌いとは言いましたが空気はある程度読みますし、偶発的に出くわした状況等では察して行動します。というより基本的にわりと察するタイプです(笑)

こんがらがる人もいると思うのでここで先にまとめると僕が言いたいのは「察する」ではなく「察してもらう」という行動は優しいのか?っていう事なんです。もちろん様々な状況があるので一概には言えませんが例えばカップルとかで察するが必要になる時って【A 機嫌が悪い側】と【B 機嫌が悪いのを察して気を使ってあげてる側】に分かれますよね?この時僕は察してる側の優しさよりも察してもらってる側の優しくなさの方が気になるんですよね。これがイレギュラーな事だったりその瞬間だけの話なら良いのですがカップルとなると長期的な問題になります。そしてこのAとBが交代で行われたり良いバランスであればいいんじゃないの?って思う人もいると思いますがそれは恐らくA側の意見だと思います。人には基準ってものが個々にあります。なのでその基準が他人と自分のバランスでいうとより自分を大切にする側がどうしてもA側になります。そうなると必然的にB側は察して行動する回数が増えます。

何が言いたいかというとこのAとBの関係って点でみたらギブ&テイクなので別に良いでしょってなると思うのですが点ではなく線で見た時に完全にギバー(与える側)とテイカー(奪う側)に別れてしまいます。ここでテイカーを貰う側ではなく奪う側としたのは関係を継続したい場合ギバーに与えない選択肢がほぼ無いので貰うというよりは奪うの方がぴったりだと考えているからです。

でカップルの関係性で考えた時にテイカーは優しいでしょうか?そしてギバーがギバーであるとこに疲れた時、それは優しくないと言えるのでしょうか?

そもそも自分の気持ちや自分の機嫌を最もコントロールし理解できるのは当然自分なので察してもらう必要はあるのでしょうか?もっとわかりやすく言うと甘える必要があるのでしょうか?そして甘えたとして相手の同程度の甘えをテイカー側が許容できるのでしょうか?僕はできないと思います。

わかりやすく数字を使って例えると+1(思いやり)が発生するという事は必ずそこに-1(わがまま)が発生します。なので人に+1を求めるのではなく自分の-1(察してもらおうとする気持ち)をなくす努力をして限りなく互いに0(負担をかけあわない状態)を維持する努力こそが【僕の好きな優しさ】ということです。

もちろん人生さまざな事があるのでいくらでもマイナスに働く出来事は発生します。だからこそ自発的に防げる-1(察してもらう状況)は減らした方が良いと思うんですよね。なので僕はその努力をせずに察して貰う前提のコミュニケーションっていうのが好きになれないんです。優しい人に優しくないルールに感じてしまいます。

ちなみにカップルに例えたのは中~長期的な関係性ってのを具体的にしたかっただけで当然友人間や職場でも同じです。

以上です。かなり少数派な意見だとは思っていますが僕はこういう優しさが好きなんですというお話でした。

こんな考え方する人もいるんだ~って事を知って頂けたら自分とは違う行動をする人がいてもそれがその人なりの優しさである事に気付ける事もあるとおもうのでこの記事が誰かのそのきっかけになれば幸いです。


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