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最終話 どこにも行かないよ

今日は会社が休みで、家でゴロゴロしていると妻が掃除機をかける音で起きた。

「ん? もうすぐお昼か〜」という自分の誰に向けたわけでもない独り言に

「そうだよ〜。もう、休みの日でも規則正しくしなきゃ体調崩すよ〜?」と妻が言う。

続けて「午前中の日光は体内時計のリセットだったり、やる気成分のなんちゃらとかいうのが分泌されていい感じになるってテレビでやってたよ〜」と言うが、その説明で『身体にすごく良さそう!』と思える人はきっといないだろう。

「じゃあ夫婦二人でたまには散歩でもするか?」と断るだろうと思っていったのに妻は「いいねえ?」と言いながらすぐに動きやすい服を探して着替え出してしまった。

全然行く気なかったけど、家事までこなしてそんな行動力あるところを隣でやられたらもう行かないわけにはいかなかった。

玄関を開けて二人で家を出る。

二人とも生まれ育った地元だから、特に何もないし、あっても見飽きている街中だ。

夫婦のたわいもない会話をしつつ歩きながらしばらくすると

高校生くらいまでよく自分達が遊んでいた公園で休むことにした。

「いいよ、はい」と自販機のボタンを押すのを妻に促した。

「ありがとう」と迷うことなくオレンジジュースのボタンを押した。

「あそこのベンチで飲むかー」と歩き出すと二人の前をトンボが横切った。

なんだかこの季節にトンボを見ると何か忘れているような気に毎年なるんだけど気のせいかなあ。

公園のベンチはしばらく来ない間に真ピンクに塗り替えられていた。

「センスないね」と二人で話しながらベンチに腰を下ろす。

「ふへぇ」とくたびれた声を出し、一息ついてからジュースだけど「カンパーイ」と妻のジュースにコツンと缶を当てた。

妻が何か言いたげにこっちを見てくる。

「どうした?」

「あれ?違うかな……いや、そうだよ!ここだよ!」

急に何か思い出したみたいな妻の大きな声にちょっと身構えた。

「あなたがショウタくんを突き飛ばした場所!」

ガンッと脳天直撃のようにあの日のことを自分も思い出した。

まだ小学生で、恋愛の『れ』の字もわかっていなかった頃、それを教えてくれたのはショウタという友達だった。

好きかどうかわからないという自分に、今の妻である『ゆう』とショウタが目の前でキスをするふりをして、制止してきたら好きで間違いないからと僕が試された時のこと。

全部思い出したところで笑いながら妻が聞いてきた「ショウタ突き飛ばしておっくんなんて叫んだっけ?」

自分も笑いながら「やめてってその話!」となんか笑いながらだんだん涙が出てきたんだ。

それを見た『ゆう』も笑いながら涙を浮かべたんだ。

えーい、もうこうなったらと半ばヤケクソで涙を飲みながら、僕はあの日の言葉をあの日と同じこの場所で、あの時と同じ人の前でまた声にした。

「ゆっちゃんは僕と結婚するから誰にも渡さない!」

涙を浮かべたその人はその時だけはゆっちゃんに戻ったように見えました。

「だからどこにも行かなかったよ?大丈夫だったねえ?」と言い、またゆっちゃんは泣きました。

僕もその時だけは『おっくん』になっていたと思います。

すごくすごく大人になったけど、すごくすごく小さくなっておっくんは確かに僕の中に残っていました。

どこにも行かないよ。そういって、ゆっちゃんも子供時代もこの公園も、ずっと近くで僕のそばにいてくれるから、自分はなんて幸せ者なんだと思って生きています。

この後僕は、帰るなりすぐに普段着に着替えてまた出かけました。

行くのは同級生が営む熱帯魚屋さん。

なんでかって?

あの日より大きいトンボをまだ捕まえていないからさ。

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