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【オリジナル短編】ツツジ


 ツツジのピンク色が目に刺さる。
 老い寂しい石垣を、上から覆って飾り立てる鮮烈なダークピンク。
 路地裏の奥から、その鮮烈さが暗闇に慣れない目の奥を鋭く刺してくる。
暗闇を正しく捉えられない僕は、路地裏と、新しく舗装されたばかりの道の境で立ちすくんでいた。


 あまりの鮮やかさに目を覆うと、指の間から遠くで咲くツツジの花びらが零れ落ちる。
 足元に視線を逃すと、アスファルトの継ぎ目からツツジの花が湧いてくるような気がして、気分が悪い。
 たまらず目をつむると、瞼の裏っ側にツツジの大輪がこびりついているのが見えた。


 暗闇の中で原色が笑いかける。

 炭酸ジュースを飲んだ後みたいな胸の苦しさがして、息を止めていたことに気が付いた。
 細く息を吐き出して、ゆっくりと瞼を上げる。
 薄闇の中に広がっているのは、時代に置いて行かれた灰色の路地。今まで歩いていた道とは違う、ひどく色彩を欠いた路地だ。コンビニの極彩色も、信号の三原色も、アスファルトの舗装されたばかりの黒さえも無い。
 路地裏にあるものは、民家のブロック塀からアスファルトまで全て、日陰に覆われて、どこもかしこも灰色だ。
 その空間で、ツツジだけに色が灯っていた。
 けれど、日陰の中で鮮やかさを剥奪されたツツジには、初めてみた時ほどの鮮やかさは残っていなかった。
 くすんだピンク色の花弁と、くすんだ緑色の葉。
 唯一色彩を持つものですら、この路地裏では、くすんでしまっている。
 ひんやりとした春の底冷えの残り香だけが、ここがいままで僕が歩いてきた世界と、連続した同じ世界だという証明だった。
 春の香りだけが、この場所と表の世界を繋ぐ楔だ。

 僕は、微かに漂う蜜の香りに呼びたてられる。足が、自然と花の方を向いた。
 老い寂しい石垣を飾り立てているように見えたツツジは、今はもう気力をなくして項垂れているように見える。
 この香りは、そのツツジが放つ最後の呼びかけなのだろう。
 波打つ緑の川にぽつりぽつりと咲く花は、八月に咲く灯籠を思い出させる。
 すぐ触れられる距離のツツジには、もう葉を覆うだけの花を咲かせる力さえ残っていない。しっとりとした花弁の肌触りは、泣きはらしたあとの頬のようだった。

 手近な一輪に手を伸ばす。指先が触れた途端、花弁が一枚、はらりと落ちた。
 靴の先に、落ちた花弁が着地する。
 茶色いシミが浮いた花弁。ゆっくりと老いていく過程を写した花弁だ。
 放っておけば、この薄暗い路地裏で、石垣と同じように老いて、そして枯れていくのだろう。誰に気にかけられることもなく、ふと目を離した時にはもう形の無くなっている、真夏の氷のように。
 僕にはそれがひどく憐れに思えて。
 せめてこの一輪だけでも、僕の靴に花弁を落としたこの一輪だけでも、最期まで見届けてあげたくて。
 手折って連れ帰ることにした。

最後までお読み頂きありがとうございます! 楽しんでいただけたのなら幸いです。 よい1日を🍀