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ウクライナによるロシア兵の戦争犯罪裁判第1件目—シシマリン裁判(解像度高め)

戦争中に行われる武力紛争法の重大な違反を戦争犯罪(狭義)と言います。
戦争当事国は、戦争が最低限のルールに従って行われることを確保するために、戦争犯罪の処罰を確保する義務を国際法上負っています。
でも、まさか侵略にあっている国で、十分な証拠をもって、公正な形で裁判を開いて、しかもそれを公開する、とはあまり期待されません。
それをやってのけたのが、ウクライナによるシシマリン裁判です。
このnoteでは、ウクライナがロシアによる侵攻後3か月足らずの2022年5月に行ったシシマリン裁判について、解像度高めに紹介します。


被告人ワディム・シシマリン

シシマリンはウスチイリムスクで育った。高校を卒業し、その後専門学校を卒業した。彼はモスクワのタイヤ修理工場で働いていた。彼が軍隊に入隊したのは20歳のときである。最初は義務兵役だったが、その後彼は職業軍人になった。シシマリンは5人きょうだいの長男であり、工事現場で働く義父の稼ぎで育てられた。義父は身元不明の人に誤って撃たれ、2020年1月4日に亡くなっている。両親の結婚生活は11年間だけ続き、それは幸せなものだったとシシマリンの母親は語っている。シシマリンは義父が亡くなった同じ年の5月に軍隊との契約に署名した。信頼できる収入源がなくなったが、母親によればそれが入隊の理由ではなく、田舎では特にすることがないことが主な理由だという。「特別軍事作戦」に配属される前には母親に、電話が一週間使えないこと、誰かが私がウクライナに行ったと言っても信じないようにと伝えたという。

2022年3月1日、シシマリンの母親は息子が捕虜となっていることを知ったが、それまで戦争があったことも、ウクライナで何かが起こっていることも知らなかった。母親の義理の娘と彼と一緒に軍隊にいた少年の一人が、YouTubeで公開されているウクライナ人ジャーナリスト、ヴォロディミール・ゾルキン氏のインタビューを受けている息子の動画を彼女に送った。

ビデオはこちら。

3月13日にシシマリンは母親にビデオ電話をかけ、心配しないようにと伝えている。母親は3月1日から、プーチン大統領にも手紙書くなどして、息子を助けるよう政府に訴え続けた。政府からは、できることはすべてやっているから待つようにとの連絡を受けている。母親は他の捕虜の母親らと協力しはじめた。SNSや共通の友人を通じて多くのロシア兵となった子どもたちはその後帰宅しているが、シシマリンだけが帰宅しなかった。

母親によれば、シシマリンは優しいが正義感のある子どもだという。母親との間に特に問題はなく、よく勉強し、いつも母親を助けてくれたという。無謀な行為をするタイプではなかったが、義父の死後、母親が大変な思いをしていることを知っていた。シシマリンは他の少年たちに、たとえ自分が殺されても母親には言わないよう注意していた。また、成人してからも、周りに誰がいるか気にせず、母親を抱きしめて、キスし、愛しているとはっきり言うような息子だったという。

母親による語りはこちら。


裁判

2022年5月13日、キーウのソロミアンスキー地方裁判所で公判が開始された。被告人のワディム・シシマリンは21歳であり、戦車部隊の分隊長である。2月28日、ウクライナ北東部のスムイ州にある村で、シシマリン被告人は非武装の62歳の民間人男性に発砲し、殺害したとされてる。シシマリン被告は他の4人の兵士と一緒に盗難車で村を走行中、自転車に乗って電話をしていた62歳の男性と遭遇しました。シシマリン被告はウクライナ軍への通報を恐れて窓を開けた車内から自動小銃で男性に発砲したのです。罪状は殺人罪と戦争法規の違反であり、刑罰としては禁固10年から15年または終身刑がある。彼には無償の弁護士がついている。取り調べ中に彼は罪を認め、公判中も「完全な有罪の認否申し立て(full guilty plea)」を行いました。また、彼が使用したカラシニコフ銃も押収されている。

最終弁論


2022年5月20日、最終弁論が行われました。

被告人:「後悔している。その時は緊張していて、殺すつもりはありませんでした。」

弁護人:「彼は2回命令を拒否しました。3回または4回発砲しましたが、文民に当たらないように願っていました。彼を裁かれるべきではなく、別の国にいる人々に責任があるのです。」

検察:命令を出した2人は別の部隊に所属しており、命令に従う義務はありませんでした。ロシア軍の規定にも文民を殺害することを許す条項はありません。彼はこれらを知りながら文民に発砲し、故意に殺害したのです。

被害者

被害者のオレンクサンドル・シェリポフ氏(62歳)。電話をかけていた相手は友人で、話していた内容はいたって平和な内容だったそう(携帯電話の通信記録、話し相手の友人も特定されています)。自転車を路肩に押している最中に撃たれて亡くなりました。

被害者の妻カテリーナ・シェリポフ氏。法廷で証言しました。この記事の動画のインタビューでは、シシマリン被告に対し、「まだ子どもじゃないの、かわいそう」「でも許すことはできない」と述べています。


他のロシア兵たちは?


上の解説図にもある通り、シシマリンが乗っていた車両にはほかにも上級の兵士らや、シシマリンと同格の兵士も同乗していました。
彼らはどうなったのか?
自動車に乗っていたのは5名。シシマリン事件で証言したのはもう1名の若い兵士。もう1名はトランクに隠れており、この人も捕虜交換で帰国。捕虜交換された2人は予審段階で取調べを受けましたが、より上級ランクだったため、捕虜交換の対象となったとのことです。若い兵士たちを置き去りにして…
法廷で、同じ車に同乗していた一等兵が法廷で証言しています。 もし命や身体に対する脅しを受けていたのであれば、量刑は変わったでしょう。
結果としては、最初に指示を出したロシア兵は捕虜交換でロシアに帰国、命令を拒否したシシマリンを脅したもう1名(25-30歳?)は負傷しのちに亡くなって戦場で発見されています。

判決


2022年5月23日、ソロミアンスキー地方裁判所は有罪を認定し、終身刑を宣告しました.
判決文はウクライナ裁判記録データベースにあり、PDF形式でウクライナ語と英語の非公式訳がある。

判決文

6月に入ってから、ウクライナにいる協力者を通じて判決文を手に入れたので、研究会の仲間たちとともに読み進めました。


実際の判決文はこちら。

上訴審・減軽

2022年7月29日、キーウでの控訴審で、拘禁刑が15年に減軽されました。

実際の上訴審判決文はこちら。

弁護人

シシマリン事件を担当した国選弁護人による後日譚が興味深いです。
弁護を担当することになった経緯(過去の戦争犯罪事案では被告人は不在であった一方依頼電話があった時今回は被告人が拘束されているとは思わずひきうけてしまった)や 戦争の文脈を感じさせないプロ意識。
シシマリンの弁護士Ovsyannikov氏は「無料法律支援センター」の任務中で、無料で弁護しました。ウクライナの法曹界でも、道義的見地から弁護はできないという人や、「捕虜交換するのになぜこんなサーカスを?」「死刑廃止しなければよかった」との声もあったとのことです。

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学界からの評価

国際法の学界からは、驚きの声があったものの、おおむねその努力を肯定的にとらえるものが見られたように思う。
特に、侵攻中にも関わらず、公開裁判を開いて訴追を行った点は評価されている。また、被害者の利益を考えれば、正義は早くなされる方がいい、との見方もある。

他方で、十分な司法制度が整っていない状態で裁判を急ぐことの弊害、ウクライナ法曹の国際法の理解が十分でないこと、国際判例を十分に参照していないことなどが指摘されている。

本事例を分析する研究ブログが2本、論文が1本出ています。

相対的な評価はこれからですが、間違いなく歴史的に重要な事件として記録されるでしょう。


お読みいただきありがとうございました。

越智 萌

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