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息子との遮断

本格的な精神科に何度も入退院しだした
初めは上がりきった躁状態で医者の方から「入院して?」と任意入院と退院の繰り返しだった

実は私の息子はADHD(注意欠陥多動性障害)だった
保育園の時に判明し、息子が保育園年長さんの1年間と、小学校の5~6年生の時の2年間、上がり下がりの激しかった私と障害のある息子を、先生と児童相談所での話し合いの結果一緒に暮らすのはお互いの事を考えると難しいとの事で引き裂かれた
保育園年長の1年間は、児童相談所に言われるがままその手の園に入所させたが正直記憶が飛び飛びで、特別悲しかった事しかほぼ覚えていない
息子の為に買った服も、稀に帰って来たと思えばボロボロの服を着て帰って来る、共有物になるらしい
髪が伸びている時にはいつもの美容室でカッコよくするが、手遅れになると預けた先でザンバラ髪に切られている
小学5~6年生の頃の事ははっきりと覚えている
保育園の時の事があったので、実家に預ける事にした

悲しく、寂しい思いをさせ、自暴自棄になり、酒に逃げた
酒を飲んでいるか寝ているかのどちらかで、食べ物も1日1度インスタントラーメンを半分に割り、それをすするだけ
それが母にばれてまた精神科へ連れて行かれ、今度はアルコール依存での入院…
それも最初の頃の記憶はほぼない
気が付いて、ホールへ行きたいと思っても体が動かない
数日経って、なんとか歩けるようになっても廊下の左右にぶつかりながらやっとホールにたどり着き、奥の窓のへ向かい外を眺めた
「いつになったら息子に会えるんだろう…」
そう思いながら振り返った
すると驚いた
ホール一面に、真っ白なふさふさの毛で真っ黒な大きな目をキラキラさせたスピッツ犬がこっちを向いている
一面真っ白に黒点だらけ
離脱症状の幻覚だった
恐ろしかった

数週間が経ち退院
また孤独感がやってくる
もう酒にはには逃げられない…
心は死んだも同然だった
感覚もない無感情のミイラが現れたのだ

でもたった一つだけ残し、絞り出せる希望の水分と言えば
「息子を取り戻したい」
ただそれだけだったかもしれない

待っていて!必ずまた一緒の生活に戻して見せるから…と


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