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2021

1.はじめての勤め先

通っていた幼稚園の先生方に憧れて、15年変わらずに追い続けた幼稚園教諭になるという夢。幼稚園教諭・保育士養成校の短期大学を卒業後、2018年4月に私立のマンモス幼稚園に入職し、実務経験を積んできた。順調にこなしていたつもりが、さまざまな脳疾患・難病を疑われる体調不良によって、就労どころか日常生活もままならなくなり、2020年9月を持って退職。

平日の時間外労働は毎日、月平均150時間程度、このためにあるはずの時間外手当は0。
運動会や発表会のイベント前日の土曜は直前準備のために出勤し、当日の日曜は朝の5:30出勤。その他園外保育やお泊まり保育のために2か月前から6:00に出勤したり、週に2日ほどは21:00や22:00にようやく退勤。
分かりやすくひとことで言うと、完全なブラック企業だった。

唯一の心残りと罪悪感は、御法度とされている年度途中に退職せざるを得なくなってしまったことで、当時担任を受け持っていた子どもたちに、挨拶も感謝も謝罪もなにひとつ伝えられなかった、ということ。
この心残りと罪悪感はわたしの中でとても大きく、離職してから園の前を通ることも、子どもたちや先生方をお見かけすることも一度もない。

ただ、この職場には語り切れないほどの恩がある。
社会人1年目の右も左も分からないわたしに、社会人の社の字を教えてくださったのは他でもない上司だし、素直であることの大切さと一生懸命に頑張る人間の美しさを見せてくれたのは子どもたちだ。
人 と 心 をここまで大切にする幼稚園は、日本中どこを探しても見つけられないんじゃないかと本気で思っている。


2.離職中

2020年10月からは、別マガジン「闘病生活」に連載している通り、大学病院での入退院と総合病院への通院をしながら療養を続けてきた。
その間に疑われてきた脳疾患や難病は、遺伝することはほとんどないと言われているが、そのことばの裏には可能性は0ではないということが隠されていると思うし、家系の中でも脳疾患や脳の働きが人と違う親族が、わたしが知る中で3人おり、もし遺伝したものであれば、父でも母でも弟でもなく、わたしで本当に良かったと感じている。

特別支援学校の在籍経験がある親族がいることで、子どもとかかわる仕事にはこういった世界もあるんだということを知り、15歳の頃からずっと興味を持っていたのが、療育や放課後等デイサービスといった、1人ひとりの発達や特性に沿って支援していく事業だった。
完全に母の家系から遺伝したアレルギー体質を持ちながら、大脳皮質形成異常・左不全麻痺という診断が就いているわたしだからこそ、病気や障害を抱えている子どもたちと、育てる保護者の方々の気持ちにいちばん寄り添えるのではないか、と考えるようになった。

通院と自宅でのリハビリをする中で、2021年6月末に主治医と理学療法士さんのお墨付きをいただいて、就労になにひとつ問題はないという判断が下りた。その後は、医療ソーシャルワーカーさん・臨床心理士さんにお世話になりながら、紹介していただいたハローワークの長期療養者相談窓口に通うことにした。


3.求職活動

前職の経験から “どうしても子どもたちとかかわる仕事がしたい ” ” どうしても子どもたちから離れたくない ” という強い想いがずっとあったわたしは、このことについてハローワークの担当者さんに単刀直入に話すことにした。
もともと看護師をされていたこの担当者さんは、とにかく傾聴に長けていて1度も中途半端にすることなく、せっかく幼稚園教諭免許・保育士資格を持っていて、それだけ子どもたちに対する気持ちが強いのなら、ぜひ再挑戦して欲しいと背中を押してくださった。

大学病院への入院を挟みつつ、総合病院への通院を継続しながら、時間の許す限り転職サイトや求人情報に目を通し、気になる事業所へハローワークを通して見学・応募・面接をさせていただいた。
わたしが酷く世知辛いと感じたことは、どこの事業所でも必ず必要となる履歴書に「総合病院に通院していますが、主治医から就労の許可は下りています」と記して応募した事業所は、すべてにおいて不採用となったことだ。
“ 一般雇用で労働をする = からだ資本である ” ことも、 “ 子どもたちをお預かりする仕事 = 職員も健康であることがいちばん ” ということも重々承知しているが、その仕事をしたいという気持ちや求職者が最も大切にしている姿勢・態度よりも、 “ ○○という病気を持つ人 ” としか感じていただけていないと強く感じた瞬間だった。

ここで1度、相手の立場に立ってみよう。
「生まれつき脳疾患があって、左半身に軽い麻痺がある。」
「ただし主治医からも理学療法士からも就労の許可はいただいている。」
脳疾患ということばだけで何か重い病気と感じてしまうのに無理はないし、見たままの印象から麻痺ということばが出てきては驚いてしまうだろう。
だが、病気を患っていても何らかの障害を抱えていても、こんな自分にできる仕事はなにか・自分がやりたいと思う仕事に就きたいと考えている人間が少なからずいるのは事実である。
働きたくても働けない・働き口がないという社会問題が、こんなにも身近なところにあって、自分の肌で痛感した6か月だった。


4.新たな就職先

忙しさも寒さも日に日に増す12月下旬。
ハローワークのインターネットサービスを通じて見つけた、児童発達支援・放課後等デイサービスを行う事業所へ見学をさせていただいた。
この見学の際に、以前から保育・幼児教育だけでなく療育にも興味があったことと、主治医からいただいている診断についても、長期療養が必要で通院していることもお話した。
管理者さんとお話していく中で、前職で感じてきた子どもたち1人ひとりの発達・特性・困り感だけでなく、保護者の方々の気持ちにももっと寄り添いたいということ、こういう身体になったからこそ今まで以上に寄り添えると思っていること等、これまで求職活動をしてきてはじめて200%の本心を伝えることができた。

まだ見学の段階でここまで話すとは想定外であったが、管理者さんの多大なご厚意とこの事業所と繋がるすてきなご縁のおかげで、面接の際はなにひとつ質問を受けることなくその場で採用をいただくことができた。
ハローワークで求職の手続きをしてから6か月、検査入院を終えてから本格的に求職活動をはじめて3か月半。
正直子どもたちとかかわる仕事と決めて求職するのは、2021年で終わりにしようと考えていたので、年の瀬までめげずに頑張ってきたかいがあった。
新たな環境に慣れつつ、職員の方々との関係をしっかりと構築できたら、いつかこの話も打ち明けたい。


5.伝えたいこと

療養を続けながら求職活動をしてきて、素直に感じたことをまとめてみる。

やりたい業種・職種が決まっているのであれば、体調の落ち着いているときにその勉強をしておく。自分なりにまとめておけば面接の際にお話することもできる。

②大きな病を患っても、辞めざるを得ない状況でない限りは辞めない方が良い。休職なり傷病手当なり取れる手は他にもあるので、社会的な保障を知っておくことは非常に大切

③退職したのち手続きを踏んで退職手当をいただいても、加入している生命保険等をいただいても、無職は6か月で限界が来る。それ以上はいろいろ余裕がなくなって辛い。裏を返せば極限までお金を使わない生活に慣れる。

④一般雇用での求職活動で、病気や障害を患っていることを正直に伝えることは確かに大切だが、自分の盾にしたり代名詞にしたりして、たくさん配慮してもらう立場でいるうちは、採用に至ることはほぼ100%ない。あくまでも求職者は採用の判断をしていただく下の立場であり、就業での配慮は理解の上でいただくもの、と平社員経験しかない24歳のわたしでも思う。


来る2022年、念願の社会復帰が叶う。
24年前に神様から授かった、わたしのむずかしくてちょっと特殊な身体と体質は、たくさんの子どもたちとその保護者の方々になにを感じてもらえるだろうか。
“ いつでも・どこでも・だれでも未来を輝かせることはできる ” ということを伝えていくための、いちばん身近な生きる教材でありたい。

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