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2024年を生きてる日記(3/24~4/8)

3月24日
Summer Eyeの「三九」のMVを見た。「三十歳仕事が軌道に乗った 三十五歳全部終わっちゃった」って歌詞はシャムキャッツのことを歌っていて、でもその瞬間にドラムがズバババってなって夏目さんが踊りだすんだけど、やっぱり夏目さんって一番かっけえ~って思った。マインドが好き。イージーそうに見えてめっちゃ戦ってる。脱力してるけど人生に対してニヒルな態度を取っているのを見たことがない。

3月25日
ユニクロに行って、カプコン40周年コラボTシャツを買った。ロックマンとスト2。絵がでっかいのがよかった。

過去に足を引っ張られたくないので気合の入ったnoteを書いた。自分のために書く。

3月27日
同期にネタの撮影を頼み待ち合わせ。向かっている最中にバスでJJJの「MAKTUB」を聞く。C.O.S.A.が「JJJみたいに痛みをREC」と言っていたように、このアルバムはあまりにも血だらけで迂闊に聞くともってかれる。「Jiga」の中で「親権のないパパ 玄関の前、置き去り枯れた花」ってリリックがあって離婚したことが分かる。それ以降「Wind」や「Something」で六畳というワードが出てくるようになって、物理的にというよりも精神的に「一人である」ということを感じる時間がJJJの中にあるということがめっちゃ伝わってくる。「この六畳誰かじゃなく俺を変えるmusic残す」「六畳の隅 大好きなやつにしか聴かせねぇとビート」とそれぞれの曲で同じ場所のことを書いてるけど「自分」と「他者」に分かれているのが最高。

「MAKTUB」はアラビア語の直訳で「それは書かれている」という意味らしい。


3月28日
ラジオ投稿をしなくていいのか?とふと思う。所属してからでも投稿はしていいのだろうけども、やっぱりなんかその前にもうひとぶちかまししたいというか、やり切れてないなって気持ちがずっとある。自分はこれまでコンビを組んでいて賞レースは二回戦まで、映像コントも真剣にやったけど中々伸びなくて、ずっと届かないって気持ちがあった。そんなとき「お前は行ける大丈夫」って自分に思えたのは、憧れのパーソナリティが笑ってくれたりしたことの蓄積でそれが支えになっている。それにラジオは俺をどこまでも連れてってくれていて、色々な経験もできたし大勢の人に会わせてくれた。しかもまだそれは続いていて、養成所に入ってからも「落合のダッチワイフ」を知ってくれて話しかけてくれる人達がいる。まだ行ける気がして、4月から「落合のワイフ」としてもう一回全力で投稿しようと思う。投稿は全く読まれなくても、なんのリターンもなくても無限にできるから不思議だ。好きなんだと思う。これからほぼ読まれない何百を毎週書くんだけど、改めて異常な行動だと思う。でも楽しすぎる。

3月29日
養成所の前期が終わる。ライブで二位になって先輩との対抗戦でも勝てて、表面上はひとまずまあOKって感じだけど、やり込めたかっていうと疑問が残る。俺の全部を渡すから所属したい。マジ売れたい。全然余力がある。
同期を見てみんなまだ若いなって思うのは順位を気にしすぎているところで、俺がこっからめちゃめちゃ落ちたりすることが全然あることを理解できていない。こんなのいくらでもひっくり返るし大事なのはランキングでもない。とある1日、中目黒301号室行われた小さなライブの順位より大事なことってあるでしょ。
前期が終わって同期達が個人戦というかそれぞれの道に入った感じがする。己の道の一番を目指したい。欲望のまま突っ走る。

3月30日
坂本龍一×高谷史郎「TIME」を見に行った。「名付ようのない踊り」を観て田中泯さんのことが好きになったのだけど、生の踊りマジですごかった。田中泯さんはめっちゃおもしろくて「そもそもダンスをするために付ける筋肉は不自然だ」という考えの元、普段は山奥で暮らしていて農作業など生活の積み重ねでできた肉体を使って踊る。彼は「場踊り」というものをするのだけど

「場踊り」とは、「踊りの起源」への絶え間ない調査と堅固なこだわりを追求する田中泯が、日常に存在するあらゆる場に固有の踊りを、即興で踊るという実践的アプローチである。

奥能登国際芸術祭2023

とある。

「TIME」で田中泯さんが水を手ですくうシーンがあって、それを見ながら「初めて水見た人?」と心の中で思ったんだけど、あとで調べたら「初めて水を見た人」でやっぱり伝わるんだなと感動した。
場踊りとかって、そこに存在する文脈とかテキストを全てかっ飛ばして一番遠いとこから俯瞰して「なにしてんねん」と言ってしまえば「なにしてんねん」なんだけど、お笑いのそうゆう要素めっちゃ嫌いってなんとなく思った。「ごと」ツッコむって、最も簡単でリスペクトのない行為だなと再認識した。

田中泯さんの踊り、一つ一つの行動をずっと見ている、というか俺は見とれていたんだけど、段々とちょっとした機微とか些細な変動に敏感になってきて、空間と一体化したような感覚になった。最後に舞台から雨が降る。めっちゃ降る。うわあああああああああああああああって思った。

パンフレット買ったんだけど、懇切丁寧に全てへの説明が書いてあってよかった。意味がある。

4月1日
同期と前期打ち上げ。一軒目の店の酒が酒の水割りで、ほぼ水だったからガンガン飲んだ。二軒目でウーロンハイをまた飲み始めたくらいから、自分はかなり悪酔いしていたみたいで、その時はそれに気づけなかった。一軒目の薄い酒が時差で効いてきたのを自覚したのは帰り道で、水玉模様のかっぱを羽織った柴犬がいて追いかけるも突然消えたり、空を見上げたらゼルダの伝説みたいな俺の視界を覆いつくす満月が一瞬浮かんでは消えたり、要するに夢を見ながら歩いていた。

思い返すと結構やばくて、俺は酔っぱらうとお笑いの真面目な話しかしない人間になってしまう。しかも講釈を垂れる。席替えした時に自分がいる卓が盛り上がっていないことが分かる。こんなやつ死んだらいい。打ち上げだっつってんのに!二度と酔ってお笑いの話はしない。

4月3日
傘を引退してしまった男、山口慎太朗とスリンキーと喫茶店で話しまくった。ぐち山になにを言ってもハンターハンターの話にすり替えられてしまうのだけど概ね合ってた。ぐちやまはいい三十歳になったなと思う。多分自分が思ってる何倍もナイスな大人になってる。

お客さんに伝わらないネタをすると、お客さんが寂しい気持ちになるって話、胸に刻む。そのネタの中でできる限界まで伝える努力はする。

メルエムが自分の左腕を引きちぎるシーンが最高だよねって話と、最強を目指したネテロとすでに完全無欠の最強であるメルエムが対峙したクライマックスのシーンでメルエムが「無意味だから辞めね?もう人殺さないし」っていうのマジヤバいよねって話をした。ネテロはそれを断るんだけど、善悪が逆転してしまっていて、そんな漫画はハンターハンター以外にないと思う。完全を目指してメルエムが完全ではない人間と触れ合って、その儚さとかもろさ、愛に気づいてしまうってとんでもねえよ。

そのあと同期と飲みに行った。みんなに前期打ち上げの時の悪酔いを謝罪してお笑いの話はしないと約束し店に着く。酒が到着する前に俺はもうお笑いの話をしていたので、シラフの状態でも死に値するような人間なのかもしれない。マジでごめんみんな。根本の人間性から変更する必要があるので、時間がかかりそうだ。「今日は7分しかお笑いの話しなかったね」「今日は6分27秒だったね」というように、徐々に減らしていって毎日一つずつ「マシ」になっていくしかないのである。

4月8日
土日は日光に旅行へ行った。コンビニも何もない秘境のようなところにある旅館に泊まった。囲炉裏でごはん食べたのはじめて。一生続けばいいような時間が流れて、これだ、このために俺は!!!って思った。何百回も行きたい。
日光東照宮に行ったのだけど、あまりにもおもしろすぎてずっとくらってた。アウトレイジの時の加瀬亮というかインテリヤンキー特有の色気みたいなのを感じた。アドレナリンが沢山出た。
「逆柱」がおもしろかった。「完璧な状態には魔が差す」という考えの元、一本の柱の柄を逆さまにしておくことで未完にしておき崩壊を防ぐというものらしくて、かっけえ~って思った。未完に留めているのか、それを完成とするのかなんなんだろう。ネタ見せでオチ弱いとかそのボケの配置が違うと言われたら「逆柱」の話をしようと思う。
これまで作ってきたネタには全て魔が住んでいるのでもうやらない。

五重塔


アンダー5という賞レースの動画審査落ちてた。若干落ち込んだけど、お笑いは永遠にやるので一々めげてられない。永遠にやるためのマインドを内側から作りこんでいるので平気。これから僕は死ぬまで勝ったり負けたりの繰り返しで、それを受けて自分がよりおもしろくなる方向に進み続けるべきなので、足踏みしないようにコントロールする。まあつっても取り組みが甘いということなので、残り半年、というかどこまで行ってもバチバチで行くしかない。楽したいなら辞めろ。


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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。