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ビーアウトオブデンジャー 最終話

この街はどこにでもある普通の街です。近づき目を凝らせば、他と違った部分も見受けられますが遠目から見れば大差はないように思います。ここに住む人は「どこにでもある街」だと言います。私の母もそう言っていました。
 思えば母との生活はとても素晴らしいものでした。私達はそっくりでした。ですがそれは時として仇となりました。私は自分が大人になっていくにつれて、母が子供になっていくように思えました。そして子供になってしまった母を一人の人間として見るようになってしまった時、そこにいたのは私ではなかったことに、嬉しくも悲しくもありました。私は母のことを愛しています。それは本当のことです。気が付くまでに時間が掛かり過ぎてしまったのかもしれません。母は私のことをどう思っているでしょうか。今はそればかりが気になります。
街の真ん中には境界線を引くように、意味もなく街を分けるようにして、線路がひかれています。この街に住む人々は買い物をしたり、仕事をしたり、夜は家族と暮らしたりしています。朝になると新しいニュースがあって、それを見て何かを思ったりします。何も思わない人もいます。変わらない毎日が円を描くようにしてこの街を循環していきます。それを人々は望んでいるように私には見えました。私は違いました。痛みを感じないのは麻痺しているからです。麻痺をしている状態で幸せを感じることは出来るのでしょうか。麻痺をした人間は、本当に喜ばしいことが起きた時どう感じるのだろうと私は疑問に思いました。難しい話をしている訳ではありません。とてもシンプルな話です。嬉しいことも悲しいこともありのままで受け取めるべきではないのかと思っただけなのです。だけどそれはとても難しいことだと、最近になってやっと分かりました。正直、今の私には何がなんなのかさっぱり訳が分かりません。私は精神的な人間になってしまったのかもしれません。だから息を切らして、何度も何度も街の中を走りました。身体を動かすと、全てがどうだってよくなることがあります。本当です。でもまた家に帰るとすぐに私の頭の中はパンクしそうになりました。あの音のせいです。
「バチッ」
破裂音が私を現実の世界に引きずりこむのでした。その度に目を背けてはいけないのだと、私は何度も戦いました。でもそれももう限界です。誰かの為に生きているつもりはありませんが、この音を記録するということは私の使命だという風に思っていました。名無し駅という名の駅で、一人の女性と出会いそれも辞めました。忘れるのは決して悪いことではないと思ったらです。
 私は一体何者なのか、何者であるかを決めるのは誰なのか、考えても考えてもさっぱり分かりませんでした。分からないことだらけでした。
 晴れた日は嬉しい気持ちになったし、雨が降っている日は悲しい気持ちになりました。子供の時の話です。今は、外が晴れていると目を塞ぎたくなる日があります。不安な気持ちになるのです。
 たまに謝りたくなる日があります。誰にかは分かりません。ひたすらに申し訳ないと思うのです。謝る相手も、許してくれる人間も私の身の回りにはいません。当然です。私が自らそうなるような選択を繰り返してきたのですから。それにも反省しています。手遅れだということはありますか。許されないままに、生きていることを認めてもらうことは可能ですか。私はきっと大丈夫だと思っています。私は生きます。当たり前のような顔をして、平然と生き抜いていくのです。

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落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。