ほんとうの意味で「他者の意見」を聴けていますか?
前回の記事では、改善・イノベーションの三つ目のプロセス「観察のフィルター調整」について、フィルターとは一人ひとりが持つ価値観であることと、そのフィルターが形成される過程には個の生存戦略として過去の経験を通じて培われた過程、もう一つは主体的真理や願いなどによって涵養されてきた過程の2つがあることをお話ししました。
今回の記事では、引き続き「観察のフィルター調整」について、どのようにすればフィルター調整をすることができるのか、また、自分だけではなくチームとしてフィルター調整ができるようにするにはどうしたらいいのかについてお話しします。
まずは自分の価値観に自覚的になること
観察のフィルターを調整するための一丁目一番地は、自分の価値観に自覚的になることです。自分が「眼鏡」をかけていることに気づかなければ、その「眼鏡」を調節することはできません。
とはいえ、自分の「眼鏡」に気づくことは簡単ではありません。なぜなら、多くの場合において無意識に「眼鏡」を通して物事を見ているからです。実際に眼鏡をかけていたり、コンタクトレンズをしたりしている人はわかると思いますが、普段ものを見ているときに眼鏡やコンタクトレンズの存在はほぼ忘れているのではないでしょうか。これと同じで、自分たちの価値観という「眼鏡」は普段あまり意識していないことが多いのです。
では、どのようにすれば、自分の価値観に自覚的になれるのでしょうか?
まずは、他者の意見を聴くことです。
当たり前のアドバイスですが、ほんとうの意味で他者の意見を聴くことは非常に大きなパワーを持ちます。「自分のモノの見方を調整する」という可能性を常に持ちながら、他者の意見を聴けている人は、実はそう多くはありません。
自分と他者の違和感を大切にする
他人の意見の聴き方にはポイントがあります。自分と他者の「言語化できない違和感」を大切にすることです。
対話や会議の場などで、相手が違和感や引っ掛かりを感じている様子があれば、見逃さずにキャッチします。なぜなら、そこには自分には見えていない視点が隠れている可能性が高いからです。
同様に、自分が違和感をもったことも見逃してはいけません。そこには、自分が自覚できていない視点が隠されている可能性が高いからです。
ここで言う違和感というのは、感情や直感のようなものであり、必ずしも言語化して説明できるものではありません。「言語化できない違和感」について、うまく説明できないからとか、言語化できないからといって捨象するのではなく、大切にしましょう。「言語化できない違和感」が生じたときほど変わるチャンスだと言っても過言ではないでしょう。
他者の違和感をキャッチできたら、なるべく表現してもらうように働きかけます。「どんなイメージ?」「言葉にするとどんな感じ?」など、根拠を説明させるのではなく、感覚をそのまま言葉にしてもらうよう投げかけをしていきます。
逆にやってはいけないのは、他者の違和感を無視、あるいは論破してしまうことです。
他者の違和感に向き合わずに物事を進めた場合、短期的にはよくても、長期的には必ずと言っていいほど問題が起きます。他者の違和感は、物事をさらに良くするチャンス、あるいは、自分が変わるチャンスと捉えたほうが、長期的には必ずと言っていいほどプラスになります。
特に切羽詰まっているときなど、違和感に立ち止まるのは大変難しいことですが、そういうときほどスルーせずに立ち止まるべきです。
また、違和感を表現してもらうときにケンカ腰にならないことも重要です。他者の違和感は自分に対する反対意見や進んでいる物事への抵抗と見做してしまいがちなので、注意が必要です。特に自分が切羽詰まっているときは、余裕を持って聞けないことも多いかもしれません。
そんなときは、あえて別の機会を設けることも有効です。私の場合は社員と1on1の機会を設定し、個人同士の対話の中で様々な意見を言ってもらうようにしています。
1on1は議論の場ではないので、お互い深刻になりすぎずに正直な想いを開示しやすいです。実際に私も、社員との1on1を通じて、自分には見えていなかった視点のヒントをもらい、自分が持っている価値観に気づくことがとても多いです。
相手にエスノグラフィーする
他者の違和感を受け取る上では、相手にエスノグラフィーすることも有効です。エスノグラフィーとは元々社会学や文化人類学などの領域の用語で、調査対象の生活環境に身を置いて行動を共にすることで、深い理解を促す調査手法のことです。ここでは「相手になりきる」という意味でご理解ください。
「なりきる」にも深さがあります。ここでは、相手の考え方や価値観、そしてそれらを形成してきた文脈も含めて、深い意味で「なりきる」ことを目指します。もちろん完全に「なりきる」ことは無理ですが、なるべくその人に「憑依する」ような感覚を目指します。
なぜかというと、深い意味で相手に「なりきる」ことができると、自分を相対化しやすくなるからです。
深い意味で相手に「なりきる」とは、相手のモノの見方を疑似体験することです。そうすると、普段の自分に戻ってきたときに「自分の見方は数あるうちの一つにすぎないな」と相対化できる感覚になります。
エスノグラフィーするときの感覚としては、相手の思考・直感・身体感覚をただそのまま受け取るイメージです。これは、自己一致の感覚とほぼ同じです。
自己一致とは、メタ意識から自分の思考・直感・身体感覚をただそのまま受け取ることでした。これはいわば自分へのエスノグラフィーです。相手に対しても同じように捉えていけば、それが相手へのエスノグラフィーになります。
相手に「なりきる」ときに、意識的に自分を相対化して捉えようとする必要はありません。深いレベルで相手に「なりきる」ことに集中すれば、自分の価値観の相対化は自然にやってきます。
映画監督の視点から、映画俳優としての自分を見る
ここまで、相手の意見を聴き、相手になりきることによって自分の価値観が自然と相対化されてくるという話をしましたが、この感覚が掴めているという方には、メタ意識で自分を観察するということにチャレンジ頂きたいと思っています。
メタ意識で自分を観察するというのは、映画のメタファーを用いて表現すれば、映画のストーリーの中にいる主人公の感覚だけではなく、映画監督の感覚を持ってみる、ということです。
普段の私たちは、自分の人生を生きる主人公です。主人公の視点で様々な経験をしたり、感情を抱いたりします。
これを、映画監督の視点で捉えてみます。主人公としての自分は、大きな舞台の中の演者のひとりです。幽体離脱したような感じで、舞台の中の自分を観察してみます。
この方法のいいところは、自分の思い込みも含めて、ありのまま自分をみることができる点です。
たとえば組織のリーダーが問題にぶつかったとき、主人公視点であれば「自分が何とかしなければならない」と思うかもしれせん。
一方で、映画監督視点だと「リーダーとしてがんばろうとしていて素晴らしいな」「リーダーだからそういう問題が起きることもあるよな」「リーダーだけの力でやらなくてもいいかもな」などと、一歩引いた見方になります。
このメタ的な見方がポイントで、「リーダーとしてなんとかしなければいけない」というような想いからくる視点の偏りに気付きやすくなります。
これまで述べた話はいずれも、「主人公としての自分」から一度離れ、外から様々な角度で見ることにつながります。このように様々な登場人物の視点を行き来することで、徐々に観察のフィルターが調整されていきます。自分の主観をどんどん相対化していくイメージです。それによって、物事をどんどん多面的に、よりありのままの姿に近い形で、観察できるようになっていきます。
チームとしてフィルター調整できる場を整える
ここまでは、個人としてのフィルター調整についてお話しをしてきましたが、改善・イノベーションにおいては、チームメンバーそれぞれがフィルター調整することができることが望ましいと言えます。
そのためには、一人ひとりが違和感を表明することができる心理的安全性が確保された場を創ることが最も大切なことになります。一人ひとりが躊躇することなく違和感を表明することができて、その違和感に対して他のチームメンバーがエスノグラフィーすることによって、違和感を持つ人の視点を感じ取ること、そして、その感じ取ったことを契機として自分のフィルター調整を必要に応じてするような場が必要となります。
一言で言えば、心理的安全性が確保された対話の場を創るということです。それはチームビルディングのような場かもしれませんし、オフサイトミーティングのような場かもしれませんし、定例会議の一部のパートかもしれません。
最も大切なことは、その場のリーダーとなる方の心のあり方です。詳細はこちらの記事をご覧ください。
今回は、自分の価値観に自覚的になり、フィルターの調整をするために、自分の主観だけではなく、複数の視点をもつことについてお話しをしました。次回は、具体的にどのような手順でフィルター調整をすると良いのかについてお話しします。
本日の問いとなります。(よろしければ、コメントにご意見ください)
・これまで、他者の意見を深く聴いたことがきっかけとなって、自分の価値観の変容が起こった体験があるとすれば、それはどのような体験でしたか?
・これまで、自分の中の小さな違和感に目を向けたことがきっかけとなって、自分の価値観の変容が起こった体験があるとすれば、それはどのような体験でしたか?
Are you truly listening to the opinions of others?
In the previous article, we discussed the third process of improvement and innovation, " filter adjustment for observation," and how the filter is the value system that each individual has, and that there are two processes by which this filter is formed: one is cultivated through past experience as an individual survival strategy, and the other is nurtured through subjective truths and wishes.
In this article, we will continue to discuss " filter adjustment for observations," how to do it, and how to make filter adjustments not only for oneself, but for the team as a whole.
First, be aware of your values
The first and foremost step in adjusting the filter for observations is to become aware of one's own values. If we are not aware that we are wearing "glasses," we cannot adjust those "glasses.
However, it is not easy to become aware of one's "glasses." This is because in many cases, we unconsciously see things through our "glasses." People who actually wear glasses or contact lenses may understand this, and may forget the existence of glasses or contact lenses when they look at things in everyday life. In the same way, we are usually not very conscious of the "glasses" of our values.
So how can we become more aware of our values?
The first step is to listen to the opinions of others.
It is obvious advice, but truly listening to the opinions of others has tremendous power. Not many people are able to listen to the opinions of others while always keeping in mind the possibility of "adjusting one's perspective."
Care for one's own and others' sense of discomfort
There is a key to listening to the opinions of others. It is to value the "unverbalized discomfort" of yourself and others.
If you see the other person feeling uncomfortable in a dialogue or meeting, don't miss it but catch it. This is because there is a high possibility that there is a perspective hidden there that you do not see.
Likewise, you should not miss anything that you feel uncomfortable with. It is highly likely that there is a perspective hidden there that you are not aware of.
The sense of discomfort here is like a feeling or intuition, not necessarily something that can be verbalized and explained. Let's not dismiss "discomfort that cannot be verbalized" because we cannot explain it well or because we cannot verbalize it, but rather, let's cherish it. It would not be an exaggeration to say that the time when "discomfort that cannot be verbalized" arises is an opportunity to change something.
Once you have caught the discomfort of others, encourage them to express it as much as possible. What do you see? How would you put it into words? Rather than asking them to explain the reasons, we ask them to put their sensations directly into words.
On the contrary, what we should not do is ignore or dismiss the discomfort of others.
When things are done without facing the discomfort of others, it may be good in the short term, but it will always cause problems in the long term. If we see the discomfort of others as an opportunity to make things better, or an opportunity to change ourselves, it will always be a positive thing in the long run.
It is very difficult to suspend at a feeling of discomfort, especially when we are in urgent situations, but the more such a situation arises, the more we should suspend and not ignore it.
It is also important not to get into a fight when asking them to express their discomfort. Be aware that others' discomfort tends to be viewed as opposition to you or resistance to things that are going on. You may not always be able to afford to listen, especially when you are in the midst of a difficult situation.
In such cases, it is effective to dare to provide another opportunity. In my case, I set up a 1-on-1 opportunity with employees and ask them to express various opinions in a dialogue between individuals.
Since 1-on-1 is not a discussion session, it is easy for both parties to disclose the honest thoughts and feelings without becoming too serious. In fact, through 1-on-1s with employees, I have very often received hints about viewpoints that I had not seen in myself, and have become aware of the values I hold.
Ethnography to others
In receiving the discomfort of others, it is also useful to ethnograph them. Ethnography is originally a term from the fields of sociology and cultural anthropology, and is a research method that promotes deeper understanding by putting oneself in the living environment of the research subject and acting together with the subject. Here, please understand it to mean " to become the other person".
There is a depth to "becoming." Here, we aim to "become" in the deepest sense, including the other person's way of thinking, values, and the context that has formed them. Of course, it is impossible to "become" someone completely, but we aim to create a sense of being himself/herself.
The reason is that when we can " become" the other person in a deeper sense, it is easier to relativize ourselves.
To "become" the other person in a deep sense is to simulate the other person's way of seeing things. Then, when we come back to our normal selves, we get the sense that "my way of seeing things is only one of many," and we can relativize it.
When ethnographing, the feeling is that of simply receiving the thoughts, intuitions, and physical sensations of the other person as they are. This is almost the same as the sense of self-congruence.
Self-congruence means that we receive our thoughts, intuitions, and physical sensations from the meta-consciousness just as they were. This is, so to speak, an ethnography of oneself. If we take the same view of the other person, it becomes an ethnography of the other person.
When "becoming" the other person, there is no need to consciously try to capture ourselves in a relative way. If we concentrate on "becoming" the other person at a deep level, the relativization of our own values will come naturally.
Seeing oneself as a film actor from the film director's point of view
So far, we have talked about how one's values naturally become relative by listening to the other person's opinions and becoming the other person. If you are able to grasp this feeling, I would like to challenge you to observe yourself with meta-consciousness.
To observe oneself with meta-consciousness means, to use a film metaphor to describe it, to try to have the sense not only of a film actor in a film story, but also of a film director.
Usually we are the main actor in our own life stories. We have various experiences and emotions from the point of view of a film actor.
Let's look at this from the film director's point of view. As a film actor, you are one of the actors in a big stage, and you as a film director will observe yourself(actor) on the stage.
The beauty of this method is that it allows us to see ourselves as we are, including our own personal beliefs.
For example, when the leader of an organization encounters a problem, from the film actor's perspective, he or she may feel that he or she must do something by himself/herself.
On the other hand, from the film director's point of view, one might think that "it is wonderful that he/she is trying to do his/her best as a leader", or that "such problems sometimes occur because he/she is a leader", or that "he/she may not have to do it by the leader alone."
This meta view is key, and it is easy to notice the bias in perspective that comes from thoughts like "I have to do something as a leader.”
By moving back and forth between the perspectives of various actors in this way, the filter of observation is gradually adjusted. It is an image of relativizing one's own subjectivity more and more. By doing so, we become able to observe things from more and more multiple perspectives, closer to the way they really are.
Set up a place where we can adjust filters as a team
So far, we have talked about filter adjustment as an individual, but in improvement and innovation, it is desirable for each team member to be able to adjust his or her own filters.
To achieve this, the most important thing is to create a place where psychological safety is ensured so that each individual can express his or her discomfort. A place where each person can express his or her discomfort without hesitation, where other team members can ethnograph the discomfort to feel the perspective of the person with the discomfort, and where the team members can take the opportunity to adjust their own filters as necessary.
In a nutshell, this means creating a place for dialogue where psychological safety is ensured. It could be a team-building type of place, an off-site meeting, or some part of a regular meeting.
What is most important is the state of mind of the person who will be the leader of the occasion. For more information with regard to the psychological safety, please see this article.
In this issue, we talked about having multiple viewpoints, not just one' s own subjective viewpoint, in order to become aware of one's own values and adjust one's filters. In the next issue, we will discuss how to adjust one' s filter in concrete terms.
Here are the quests of the day. (If you'd like, please share your thoughts in the comments.)
・What experiences, if any, have you had in the past where listening deeply to the opinions of others triggered a transformation in your values?
・What experiences, if any, have you had in the past where a transformation of your values occurred as a result of looking at a small sense of discomfort within yourself?
Bunshiro Ochiai
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