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祖父と僕、「博士の愛した数式」を読んで。

最近、母方の祖父のことを思い出すことが多くなった気がする。


祖父は僕が小学生低学年の時亡くなった、冬の初めくらいだった。
突然だったけど、自然に亡くなった印象だった、今もそう思う。入院していた病院の地下、白い廊下に白い部屋、白いベッドに白い花瓶の白い花、すごく不自然な空間で祖父は寝かされてた。父親はこういう時少し不謹慎で「触ってみ、まだ少しあったかいよ」と僕に言ったのを覚えてる。その時は泣いていなかったが、葬式が始まってやっとすごく悲しくなった。僕が覚えている範囲内で一番泣いた気がする。もう一人の祖父はすこし意地悪でそういう時に「男がそんなに泣くんじゃない」って言った。そんなこと言われても仕方がない、悲しいものは悲しいんだから。この一連の思い出は20歳になった今でも思い出すと、涙が出そうになる、いやコンディションが整えば涙が出る。

なぜこのような湿っぽい文章を書きだしたかというとある本を読んだことにある。それは、「博士の愛した数式」。事故で脳を損傷し、その事故以来、記憶が80分しか持たない老数学者の家に家政婦として雇われた私、そしてその息子の関係を描いた作品。
この作品は数学と文学をうまく合わせた物語で、物語を読み終わるころには数字が素敵なものに見え、√の記号は愛らしく見える。
主人公の息子に√という名前を付けかわいがり、なによりも子供を愛する博士の姿は亡くなった祖父を自然と思い出し、重合わせて読んでいる自分がいた。
同じような経験をしているわけではない、同じようなエピソードもないし、別にファールボールから守ってくれたこともない、でも博士が√を想っていたように、祖父は僕のことを想ってくれていたように思う。またその逆で、√は博士にどんな気持ちを覚えていたのか、それはきっと僕が祖父に思っていたものと似ているのではないかとも思った。

しかし祖父のことはいまいち覚えていない、一緒に長く住んでいたがどんなことを言ってくれたか、そもそも話しかけてくれたのか、そこすら危うい、僕の中では勝手に寡黙な人という印象を持っている。


そんな僕に母はよく祖父の話をしてくれた。運転免許を取ろうとして、学校に通うが教官とそりが合わず喧嘩をして実習車を降りて徒歩で帰ってきた話(1度ではなく2度も)、結局彼が生涯免許を持つことはない。
また道端で声を掛けられ、困っているという老婆にお金をあげてしまう話(1度どころではなく2度3度でも困っている人にはあげていた)、他にもいろいろ。
祖父の人格が母の話で浮き彫りになる、その感じがたまらなく好きだった、そして続けるように僕の背中や走りづらそうな偏平足、整えていなくてもきれいな爪は祖父にそっくりだという話をする。祖父が生きている時には感じられなかった同じ血が流れているという事実を遠回しにでも的確に伝えてくれた。

ただ叶わない夢を、祖父と一緒にお酒が飲みたい。コーヒでもお茶でもいい、どんな声をしてたかだけでもいい、声が聞きたいただそれだけを今思ってこれを書いている。

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