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8月31日に終わる夏=三好銀さんの漫画

2016年の8月31日に、三好銀さんが死んでしまった。

日本には四季があり、十二ヶ月を四季で割るとちょうど三ヶ月ずつ。体感としてもまぁそれぞれの季節が平等にそれくらいだな、と思う。それなのに、どうして夏の終わりはこんなにも寂しいのだろう。

子どもの頃、8/31は少し憂鬱だった。私は、呑気で退屈な夏に満足している子どもだったので、海やプールに行って日に焼けながら毎日楽しんでいたのである。長い休みの夏を。宿題は、嫌なものほどさっさと終わらせる性分だった。だから8/31は、至上の毎日が終わってしまうブルーな日だ。その年の夏がどんなに冷夏だろうと、一向に止む気配のない暑さだろうと、私の夏の終わりは8/31なのだった。

2016年の8/31に、三好銀さんは死んでしまった。2016年の、私にとっての夏の終わりに、死んでしまった。私は三好さんの漫画が大すきで、だからこそその去り方に三好銀さんらしさを感じた。自分にとっての特別が終わる。その特別の違和感にも似た輝きと、終わりゆく切なさ。三好銀さんの漫画は、思えば私にとって夏の終わりそのものだった。

三好銀さんの漫画を初めて手に取ったのは、『いるのにいない日曜日』だった。クラフト紙のような風合いに白黒のソックス猫とねずみのおもちゃ。とてもシンプル。本屋さんでその表紙を見て、一目惚れしたと思った瞬間には、もうレジへと行っていた。所謂ジャケ買いというやつだ。

初めて読んだ日にもし戻れるなら、他のどんな辛いことをもう一度経験してでも戻りたい。そのくらい大事な漫画になった。

まずタイトルが良い。だって『いるのにいない日曜日』ですよ。そういう日曜日、私も知ってる、私にもある。でもその言葉で表せたことはなかった。味わったことのある気持ちが、どこにも無い方法で描かれているのが、私にとっての三好銀さんの漫画だ。

目次を見てみる。もうそこから目眩なのだから仕様がない。各話のタイトルが並ぶ。【夜中の電車】【秋めくことば】【寝言でおしえて】【マイ・チルドルーム】【5センチずらして眠りたい】などなど。

漫画は、夫婦二人と表紙の白黒ソックス猫・梅の何気ない、けれども日々の不思議に溢れた日常を描きながら、大したことのない大事な事件が起きたり起きなかったりする、といった内容。

『いるのにいない日曜日』の最初の話は【夜中の電車】だ。落とし物が届いたと警察から電話があり、夜遅くだというのに妻ひとりで電車に乗り、落とし物を取りに行く、という話(パジャマの上にコートを羽織っただけの姿で)。今日は何だか、満足のいく日曜日じゃなかったな…と一日を振り返る妻が、このまま日曜日を終えたくない、という思いから、急ぎで必要でもない落とし物を取りに行くのだった。

全体を通して、三好銀さんの漫画は、どこにでもありそうなひとたちの平凡な雰囲気を味わっていると、油断した隙にいつの間にか“違和感”が忍び込んでいる。という印象を抱く。その“違和感”は怖くもあり、面白くもあり、変なの、全然日常じゃないよ、と思うものと様々で、またはその全てが混ざり合っているとも言える。

日常を描いたもので、特別な雰囲気に感じられる作品が大すきだ。ドラマ「すいか」然り。いつもは何とも思っていなかった雑多なことに目を向けて、その面白さを発見出来るから。違う見つめ方で、毎日を過ごせるような気がするから。『いるのにいない日曜日』を読み終わってすぐ、三好銀さんの最初の単行本である『三好さんとこの日曜日』を古本にて購入。読んでみると、『いるのにいない日曜日』は、この『三好さんとこの日曜日』の続編と言えることがわかる。同じ夫婦と同じ猫(梅)、同じ隣人、同じ友だち。嗚呼、三好さんちのような“平凡な”暮らしがしたい。

その後は、単行本で読める本を読み漁り、漫画雑誌「コミックビーム」での連載が始まると耳にし追いかけた。追いかけながらそれまでの作品を何度も読み返し、連載が終われば次期作を待ち、その間また過去作を読み返した。

その日は確か、Twitterを開いていたのだと思う。フォローしている漫画メディアのアカウントからさらりと流れてきた。三好銀さんの訃報。あまりにさらっとしていて、信じられなかった。今の時代、いや昔からかもしれないけれど、こんなに静かに死の知らせが届くものなのだなぁと、妙にしみじみしてしまった記憶がある。

そして冷静になると、もう三好さんの新しい漫画が読めない、というとてつもない寂しさにおそわれた。過去作は作品数が多くないこともあり、すぐ読み返せてしまう。訃報のあと、単行本化されていなかった作品が出版されると、すぐに購入して何度も読んだ。読み終わったと認めたくなくて、何度も、何度も。読み終わりたくない、と思いながら読む漫画の、何と楽しく、何と切ないことだろう。

今年も8/31が来た。夏の終わりに、三好銀さんの作品を思い出す。そしてその作品たちは、いつまでもこびりついて消えず、死ぬまでずっと、きっと読んでいられる。新しい作品がもう読めないという事実は寂しいけれど、過去作の面白さは読むたびに更新される。どこにでもありそうな、どこにもない日々。私の望む夏のように、そんな普通の特別感が詰まった三好さんの作品たちは、春でも秋でも冬でも、私にどこかのんびりとした違和感を与え、この上なく切なく、幸福にさせる。



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