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淹れるということ

お茶を淹れる

僕の主な仕事は「日本茶を淹れること」

”入れる”ではなく”淹れる”こと

だいぶ前、お茶屋の方が「SEO対策のために「淹れる」だと検索に引っかからないから「入れる」に変更した。」という話をしてくれた。
まだまだWebのことや、SEO対策のことなどちんぷんかんぷんの僕に言っていただいたアドバイスだったんだと思う。

でも、僕にはとても違和感でしかなかった。

「若い人はどんどん言葉を短略化して、元の言葉を壊している」

流行語やTwitter用語など、言葉の世界では日々様々な変化がおき、その中で新しい言葉も生まれている。

ただ、それは”若い人”だけなのか?

利益を追求して、元ある言葉を気づかず壊している業界人は多いように思う。

広まることは良いことだ。利益を循環させることも良いことだ。お金を生み出さなければ何もできない世の中だ。

しかし、それ以上に大事なことってないのか?

日本語は世界でも有数の複雑さである。と聞いたことがある。
日本で生まれて、ほとんど日本語しか聞いてない生活だと気づかない複雑さ。

SNS全盛のこの時代。言葉の力は大きくなっている。
一言で人生を終わる人もいれば。一言で大金持ちになる人もいる。
一言で人生180度変わる世界。

そんな世界で、利益の為だけに言葉を変えて良いのだろうか?

お茶もそうだと思う。

日常的にお茶を飲まれるようになったのは戦後以降であり、一般的に普及したのは昭和後期。バブルの真っ只中の時代である。

だから、世代によってお茶の重要度は変わる。

・おじいちゃんおばあちゃん世代(80歳以上かな)にとっては、お茶は高級なもの。(良いお茶は冠婚葬祭でしか飲めなかったから)
・その下の50代以上の世代には、日常のもの。(お茶なんてタダで飲める世代)
・30代40代の世代は、そもそも気にしていない。(コーヒーや炭酸系、ジュース類が多すぎて)
・20代以下にとっては、一周回って新しいもの。(ペットボトルしか知らないから)

これはマーケティングとかの話ではなく
単に、お店で様々な人にお茶を淹れて飲んでもらって感じたこと。

言葉と同じように、利益を追求するあまり、大量生産大量消費を突き詰めていった結果。
"淹れる"ということが蔑ろになり、利益が出やすい世界に突っ込んでいき大事なモノをどこかに忘れていった。

何度も言うけど、広まることは良いことで、利益を循環させることも良いこと。
そもそもお金を生み出さなければ何もできない世の中だ。
だから、その世代において頑張ってきた先人たちを責めるわけではない。むしろ、尊敬と感謝でいっぱいです。

ただ、もうその時代じゃないよね。って話。

SEO対策したって、アルゴリズムはコロコロ変わるし、対応し続けるには莫大な費用がかかる時代。
であれば、自分たちの大切にしている軸をきちんとサイト内で表現する必要があり、SNSなどの外部コンテンツをフル活用する時代。

お茶に関しても世界のお茶をワンクリックで翌日には届いて飲める時代。
であれば、自分のお茶とは?を考えてしっかりした軸の中でお茶を扱い商売する時代。

と、ここまで話て気付いた人もいると思うのだけれど、

もう今までの"SEO対策"自体が時代遅れだと言うこと。

2020年に入りSEOの世界も大きな変革が起きた。さらに、数年前からYouTubeなどの動画コンテンツが大きな影響力を持ち始めた。
(もうSEO対策に費用を出す前に動画作った方がいいんじゃないか?って時代)

そう、日本茶業界ってこの状況なんですよね。
(全部が全部って言っているわけではないですよ)

一昔前に「大事だ!」って言われていることを追いかけて、"淹れる"を"入れる"に変えている感じ。
もうその時代じゃないんだけど。

隣の茶農家との味の違いは?
隣のお茶屋の合組との味の違いは?
隣の国との味の違いは?

まずは根本を。
そして、この違いをどのような淹れ方で、どのように表現するのか。

分野は違うけれど、自分たちのWebサイト(またはECサイト)にたどり着き商品を購入するまでに、SNSや動画を駆使するのと同じように。

先人たちが育て上げ、築き上げてきた今の日本茶の世界に、どのようにたどり着き、気づいてもらうのか。

一杯の美味しいお茶から日本茶の世界を魅せる


それが僕が考える"淹れ手"の淹れるという仕事であり、"表現する世界"です。


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