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当たり前を当たり前だと思う瞬間

『 当たり前を当たり前だと思うな 』

とよくいうけれど、これって”当たり前だと思っていることが前提”だよね。
多くの人が、そもそも”当たり前”だと思っていないことの方が多くて、まずは『当たり前だと思ってた』と気づいた時に”当たり前”だと思うのだよね。

当たり前だけど。

生活環境や仕事環境の多くで、他の人には習慣化してなくて、自分にとってはいつの間にか習慣化されていることって多くある。
それをあるキッカケで ” 当たり前だと思ってた ” と気づいた瞬間に ” これは当たり前じゃないんだ ” と気づく。そして、ここから『 当たり前を当たり前と思うな 』という教訓が生まれる。

僕にとっての”お茶”ってまさにそれだった。

小さい頃から胃腸が弱くてすぐお腹壊しちゃうから、基本的には温かいお茶を飲んでいた。家で日常的に飲むのは温かいお茶。レストランの食後は温かいお茶(こういう時は紅茶)。アイス食べたら温かいお茶。お茶、、お茶、、、tea。

そんな胃に優しいお茶が当たり前で、コーヒーなんて大学入ってから目覚めたぐらい遅かった。
(はじめてスタバのコーヒー飲んだのなんて、20歳ぐらいでロスに1ヶ月の短期留学へ行った時だしね。)

ちなみに、「小さい頃からお茶が好きだからお店をやられたんですか?」ってよく聞かれるんだけど。
好きか嫌いかで言われると”好き”だけど、こよなく愛しているかと言われると、単純にお茶のある生活が”当たり前”だっただけです。

ただ、食後にコーヒーしか出ない時、その後常に腹痛を起こさないか心配になるから、そういう場合のお茶への信頼感と欲求は強かったと思います。

制作風景_saten

僕が日本茶に興味を持って、仕事にしようとまで思ったのは、この”当たり前が当たり前じゃないんだけど、当たり前なんだ”と気づいたからです。

ぅん。わけわからないよね。

つまり、この”当たり前”に飲んでいたものは、”当たり前”にここにあるのではなく多くのヒト・モノ・コトの先に今ここにあるんだけれど、僕も含め、多くの人がここにあることを”当たり前”だと思っているということに気づいたからです。

なぜ、多くのヒト・モノ・コトが関わっているのに、それをすっ飛ばしてなにも考えずに”当たり前”に飲んでいるのだろう。

日本茶の奥深さを知った時、こんな疑問を抱いていた。
それは習慣によるもの?環境によるもの?教育によるもの?伝え方?
いや、ただ単純にあるから(出されたから)飲んでいる?

前の記事で、シニア世代はお茶を”高級なもの”と捉えていると書いたけれど、いつから高級なものが”当たり前なもの”になったのだろう。

そんな出口がありそうでないことを考えながら日本茶を淹れていたら
「日本茶ってこんなに美味しいんですね」「お茶の違いをはじめて知りました」「そんな淹れ方ってあるんですね」などなど、「当たり前のようにいつも飲んでいたけれど、日本茶に気づかされた」という嬉しいお言葉をいただけるように。

と同時に「これだ!」と確信的な何かに気づいた。

僕もお茶を”当たり前”だと思っていることに気づかせてもらったのは、誰かに淹れてもらったお茶だった。

これが、淹れ手の道を選んだ1つの理由。

” 当たり前を当たり前だと思う瞬間 ” を作る

この気づきの瞬間は、誰も意識していないけれど、” 当たり前 "と思っているの人が多い日本茶の世界は、このキッカケを作る最高の舞台だと思う。

そして、その気づきを得て「この当たり前は当たり前じゃないんだ!」と知った人は日本茶をさらに知りたくなるのは間違いない

はずである。。


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