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「無念・・」
そのような心を残しつつこの世を去る方もいます。

個人の周囲にある環境や人間社会・組織の主張や評価が、個人の思い・尊厳を上回ることは、哀しいかなこの世の常です。

そのようななかで生涯を終えて、故人の心は行き場を失い、次の道に進めず迷う。平たく申せば、逝くところへ逝けない。

故人の冥福を祈ることのはじまりは、まずはこの世の都合不都合を捨て、故人に対して正直な心を手向けることです。それが焼香をして手を合わせる合掌の姿です。

そのような折々に、ふとこの世の損得から離れて水鏡に天然の心を映すことで、心が洗われることもあるのではないでしょうか。

人に手向ける正直な心は、水を上から流して相手を清めるというような、相手を下に置くものではなく。清らかな水が遍満する、互いを清めあっていく作用をもたらします。
そうして、無念なことも少しずつ浄化していきましたら大変嬉しいことです。

生涯を終えた故人が、その生涯を終えて、新たな自分の道を歩み始めることはその人だけの課題です。それは、生きればこそ、誰もがいつか行く道。

執着から離れる心は、侘び茶の根本的思想です。
ほとほとと、心縛られず、伸びやかに歩む道が侘び茶の道であると考えます。


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