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想うということ。~古人にブチ切れられる前に

「いつも遠くから想うって、なんて大きな愛だろ。」

わたしの敬愛する先輩があるドラマをみた感想として
ふと送ってくださった言葉だ。
はっとした。

人を想うこととは、限りなく利己的な欲望でしかないと思っていた。
ある種の恋煩いのようなもので
嫉妬をする権利すらないのに芽生える狂おしいほどの切なさが自分を別人にする。
頭の中に常に浮かぶ人がいる状況というのは
ユートピアでもあり
ディストピアでもある。

考えれば考えるほど
冷静になればなるほど
結ばれてはいけない人だとわかっていても
その想いがいつか誰かの心を傷つける刃になったとしても
体の深くからずっと。
想い続けていたいのだ。
狂気的で
凶器のような
目まぐるしいこの想いを
人間の力で制御することなんて
よもや不可能なのである。

想いというものは、究極の形而上の概念であり
届くことなんてあるわけがないと思っていた。
届けることができないなら、言葉で伝えれば良いと思っていたし
届けることが恥ずかしいのなら、自分の中だけで完結させれば良いと思っていた。
実態を持たないこの想いが、
遠くからでも、ただただ想い続ければ
ちゃんと相手に届いてしまうということに気づかせてくれたのだ。

テクノロジーが発展する前、
古人たちはこんなにも頻繁に連絡をとることはできなかった。
そう考えると、想うという行為は今よりももっと力を持っていたと考える。
宗教や祈りも、想うという行為が重んじられていたから生まれた儀式であると思う。

テクノロジーが発展した今、
わたしたちは当たり前のように毎日連絡することができる。
その恩恵をも忘れて
自分の感情を隠すために返事を遅くしてみたり
あえてちゃんと伝えず相手に察してもらえるように謎めきを残してみたり
返事をすぐにしたいけどしてみなかったり
「駆け引き」という贅沢過ぎる遊びを取り入れ、
人の好意の無駄遣いをし始めた。
便利になりすぎた麻痺による副作用だ。病的だ。
こんなことしてたら古人にブチギレられる。

時間は限られている。
わたしにそんなことをしている暇はない。
想うことに罪はない。
だからわたしは
ただただ
他の一切の懸念を忘れて
想うことに専念していればいいのだ。

現代社会が作り上げた仮想空間における恋愛のライフラインが
もし突然なくなってしまったとしても
わたしはあなたを想い続けることを
きっとやめられないのでしょう。

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