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カフェオレは思いっきりミルクを注いでこそカフェオレである

恋愛依存症患者の処方箋を無償で配布してくださる、わたしの崇拝する DJあおい先生がこのような言葉を残しています。

友情というものはアイスコーヒーのようなもので
恋愛感情というのはミルクのようなものであり
一度ミルクを入れてしまったカフェオレは
二度とアイスコーヒーには戻れない

これって恋愛だけでなく、すべての人間関係においていえることだと思います。
ミルクというものは良くも悪くも一度注いでしまうとどれだけコーヒーを追加しても、一生濁ったままです。
もう戻すことはできません。

わたしは女子大時代、男女関係においてアイスコーヒーなんてあり得ないと思ってました。
男性とは、アイスコーヒーを一緒に飲むのでなく、カフェオレを一緒に作る存在であり
ミルクとコーヒーというものは、
完全に「性」によって二分化されるものと思っていました。

しかし、男女におけるアイスコーヒーという関係性は
確実に存在するということを社会人になって知りました。
自分の中で、
「この人は、ミルクを注ぐ相手ではない」
という制御が、勝手に働くのです。非常に不思議です。
アイスコーヒー仲間は、本当に希少価値が高いので大切に少しずつ飲みながら付き合う必要があると思っています。

でも、正直なところ
ミルクというものはいつ注ぎたくなるかわからないじゃないですか。

コーヒーが途中からすこし苦く感じたり、
時間が経って酸味が増してしまったり、
何かのはずみで突然ミルクを注ぎたくなることなんて、誰にでも起こりうると思います。

ミルクというものは、
ポジティブにも、ネガティブにも、
「裏切り」のようなものなのかもしれません。
これは恋愛関係だけでなく、
大切な女友達とずっとアイスコーヒーを飲んでいたのに、向こうが無意識的にでも、もう二度と戻れなくなるような酷な言葉を吐いたり、そういう対応をしてしまったら、
もう二度とアイスコーヒーに戻すことなんて到底できません。少なくともわたしには。

そうなると、カフェオレというものは
徹底的にカフェオレたるべきであると思うのです。
茶色が濃いカフェオレなんて興味ありません。
そんなのでいいなら、コーヒーフレッシュとかで我慢しとけばいい話です。

椎名林檎さんのカプチーノという曲より引用するとしたら
ミルクとコーヒー当事者たちも
「イーブンな関係になりたい」
と思っているはずです。

わたしはとにかく、カフェオレというものは
ミルクをたっぷり注いで飲みたいのです。

もちろん、
一緒にコーヒーを飲みながらお喋りするつもりでわたしたちは喫茶店に集まりました。
でも、店員さんが機械的にお決まりの台詞の

「ミルク・お砂糖ご利用ですか?」

という言葉をかけてきたときに
わたしは
自分なりの正義と覚悟を持ちながらも
お行儀良く、本能的に、

「はい、お願いします」


そう言っただけのことなのです。


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