見出し画像

ユウコとおかんのこと 〜岸政彦・柴崎友香『大阪』読書感想文

高校3年の冬、センター試験(今は「共通テスト」って言うのね)の前日(前日!)にユウコと天王寺をブラブラしていたら、仕事終わりのユウコのおかんからポケベルで連絡が来て(ポケベル!!)上本町の焼鳥屋で晩ご飯をおごってもらえることになった。

「ユウコやあ、ちよちゃんもやけどやあ、明日センター試験やんか」ユウコのおかんはメンソールの細いタバコをくわえながら、串に刺さった焼き鳥を箸で外していく。串にかぶりつくのではない食べ方があるのだと、その時わたしは生まれてはじめて知った。

「センターセンターあんたらゆうけどや、それ何センターなん?」

一瞬の間のあと、ユウコとわたしは顔を見合わせて、え、何センター?知ってる?知らんし、と言い合って、そのあと3人で腹がよじれて涙が出るほど笑った。

ちょお待ちいや、あんたら何センターか知らんセンターの試験受けんのー、あほちゃうー、とわたしの肩をバンバン叩くユウコのおかんはたぶんかなり酔っ払っていて、おかん何ゆうてんのー、と喉の奥まで見せて笑うユウコに目を向けたら、蛇皮のハイヒールを履いて髪をキッ、っとセットしたユウコのおかんと同じ顔をしていて、おかんとこんな風にあほみたいに笑えるユウコのことが、泣きたいほど羨ましいと思った。この子は大阪の子やな、と思った。

わたしが過ごしたなかでもっとも「大阪」的な瞬間だったと今になって思い出すのがこの夜だ。ユウコはセンター試験に失敗して、わたしは東京の大学に進学して大阪を離れ、ユウコのおかんは南堀江のマンションに彼氏と住み始めて、10年後に病気で子宮を取った。

***
岸政彦・柴崎友香共著『大阪』を読んでいる。

別に何も悲しくないのに、眼球の表面一ミリのところに常に涙がたまる。そうだ、わたしが生きた町はこんな町だった。楽しいことがあって、おもろいひとがたくさんいて、笑ってはるのにしんどいひとがいて、そんなひとがある日突然おらんくなったりする町。

「大阪が好きだ、と言うとき、たぶん私たちは、大阪で暮らした人生が、その時間が好きだと言っているのだろう。それは別に、大阪での私の人生が楽しく幸せなものだった、という意味ではない。ほんとうは、ここにもどこにも書いてないような辛いことばかりがあったとしても、私たちはその人生を愛することができる。そして、その人生を過ごした街を。」

『大阪』p.11「はじめに」


まだ半分くらいしか読んでない。

泣かずに、うわあと頭をかきむしらずに、あの日の楽しいことや嬉しいことやしんどいことや消したい記憶に飲まれすぎずに、読了できるのだろうかこの本をわたしは。

淀川を渡る鉄橋の音を思い出しながら、わたしはページをめくっている。ユウコのおかんはあの夜、今のわたしと同じくらいの歳だったと気づく。

【2024年5月25日付 Instagram投稿】

この記事が参加している募集

#読書感想文

190,929件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?