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淀川は、にび色 〜岸政彦『図書室』読書感想文〜

表紙の「淀川み」にやられてジャケ買い。突然、高校時代の同級生Yのことを思い出す。

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Yとは、数ヶ月に一度、学校帰りにふらりと美術展に連れ立ってゆく仲だった。正確には、美術展に連れ立ってゆく「だけ」の仲で、一緒にお弁当を食べたことも、買い物に行ったことも、同じ部活だったこともなかった。

それでもなぜか、絵とか陶芸とか写真とかを見に行くなら自分ひとりか彼女と一緒か、と決めていた。

彼女もわたしも、感想を言い合ったりすることはなくて、ただただ、ふーーん、とか、おぉー、とかぼそぼそ言いながら時間をかけて歩き回り、帰り道はまたぼそぼそと、担任が昨日、とか、文化祭のダンスめんどいな、とか、あまり盛り上がりもしない会話をつなぐでもなく、淀川を渡る電車にガタンゴトン揺られていた。

『図書室』の表紙写真のにび色に、そんな帰り道を思い出す。

美術部部長で美大志望の彼女は、背が高くて、烏の濡れ羽色、という表現以外に浮かばない真っ黒な髪をいつもひとつに結んでいた。あまりしゃべらなくて、あまり笑わない子だった。

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電車の「ガタンゴトン」は、淀川の鉄橋にかかると「ッガタンゴトッ」と付点音符混じりのリズムにかわり、ピッチも半音くらい上がる。

わたしはひそかにその瞬間が大好きだった。

雨の翌日にはきまって、大阪の街中の人間の営みのなんやかんやを全て飲み込んだみたいな、絵筆を洗うバケツの水が最終的に行き着くような絶望的なドドメ色の水が橋脚の高い位置まで届いていて、わたしはそれを、電車の窓からほのかな畏怖の念をこめてぼんやり眺めるのも好きだった。

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美大、行かれんかもしらんねん。
親がな、反対してんねん。
うち、寺の跡取りやからな、絵描いててもな、あかんねん。

いつかのタイミングで彼女からそんな話を聞いて、えーなんなんそれ、親の反対とか無視したらええやん、的な青めな義憤でもって彼女にエールを送った記憶はあるのだけど、わたしのその暑苦しい提案が彼女の心を動かしたような手ごたえの記憶はない。

彼女はとっくに、生まれながらにインストールされた自分の役割に気づき、静かに受け入れていたのかもしれなかった。

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行きたい美術展がなかったタイミングと、受験勉強のタイミングと、いろんなものが重なって、高校の卒業式でも話す機会は無くて、それきり彼女とは会ってない。彼女が美大に行ったのか行かなかったのか、わたしは知らない。

Facebookとか検索したらたぶん彼女を探し当てることは難しくなさそうだけど、そういう再会の仕方は彼女は恐らく好まない。

わたしも、好まない。

それならいっそ、今回がそうであったように、淀川の写真を見た瞬間「どうしてんのかな」と思い出したあと、いつの間にか静かに閉じられるような1ページのままでも、別にいいのかもしれないなぁと思う。

幸せでいては欲しいと思う。
心の底から、思う。

本の感想は今度書く、たぶん。

【2022年7月27日Instagram投稿に加筆】

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