見出し画像

お薦めできないサイコパスの本は…

最近、中野信子の『サイコパス 』を読んだ。パラっと本屋で目を通した所、あまり魅力ある本には感じなかった。しかし著名人の本なだけに、日本でサイコパスに興味を持つ人の多くが、この本の内容参考にするかもしれない、と思い購入する事にした。

初めのうちはある程度じっくり読んでいたが、途中からやはり思った通り、サイコパスを知りたい人にお薦めはできない本だな、という印象を持った。

見た目でサイコパスを判断する危うさ

何が問題かというと、まず、見た目でサイコパスを判断する方法について書かれていることだ。この判断に従ってしまうと、サイコパスではなかったとしても、身体的的特徴からサイコパスと見られてしまう人が出てしまうかもしれない。

見た目である程度の確率で、サイコパスと判断できたとしても、例外だって相当いるはずだ。

ちなみに、私を貶めたサイコパス気質のA氏は、中野氏が説明するところの外形的特徴とは異なっている。そのため、中野氏の説明を参考にしたら、サイコパスではないと判断してしまう。その結果、サイコパスによる典型的被害にあってしまう事になる。また、その逆のケースもあるだろう。

身体的特徴から判断基準を示すのは、役立つ事がほとんどないばかりか、差別や偏見を助長する危険性がある。そして被害を拡大する事にもなりかねない。

表面的な行動要因

中野氏は、サイコパスの行動の要因について、

● 恐怖感情の欠如
● 目先の利益しか考えられない情報処理能力の障害
● 共感性の欠如

などを挙げている。

その原因として、脳の一部が機能不全となっているとの見方をしている。

脳科学者なので生物学的側面から判断しようとするのはいい。しかしながら、この本の一番の問題は「サイコパスとはどういう人」なのか、という根本的な点がはっきりしていないことだ。

「反社会性」という言葉を使っているものの、読んでいくと、サイコパスとは、恐れ知らずの調子者で、人の気持ちが分からない、自分勝手な人という視点に行きつく。これらは一部のサイコパスに見られる行動の表目的側面ではあるが、サイコパスそのものではない。

人と違った事をする人、奇抜な発想をする人もサイコパスとされてしまうような例が示されている。

そうすると、ちょっと周りと違う人、自分の価値観の中では理解できない人を、サイコパスと判断する事にもなりかねない。繰り返すが、こうした行動傾向は一部のサイコパスに見られるというだけで、サイコパスそのものではなく、いらぬ差別を助長する危険性すらある。

サイコパスの根っこ

では、サイコパスとは一体、どんな人のことを言うのだろう。

書籍『良心をもたない人たち』の著者、マーサ スタウト氏(心理セラピスト)によれば、サイコパスとは「良心をもたない人」で、かつ「良心をもたないことを隠すことができる人」である。これがもっともサイコパスを的確に示す表現だと思っている。

サイコパス気質のAは、まさにこうした人物だった。この場合、反社会的人物には見えず、よい人に見えたりする。いい人だ、と思って近づくと、全く想定不可能な被害にあってしまう。これがサイコパスの恐ろしさであり、気を付けなければならないことである。

こうした行動をとるのは、良心をもたないからである。自己中心性や共感力の欠如はその結果である。

サイコパスとの共存とは?

中野氏が指摘するサイコパスは、いわゆる発達障害やパーソナリティ障害にあたるケースと言えよう。

だから、中野氏はこの本の結論として「サイコパスとは共存してゆく道を模索するのが人類にとって最善の選択であると、私は考えます」と言えるのである。

中野氏は著名な脳科学者ではあるが、心理学者やカウンセラーではない。だから、サイコパスによる実体験というよりも生物学的に分析してしている。

それはそれでいいだろうが、根本的な事が欠落しているように思う。

発達障害やパーソナリティ障害の人には、障害の特徴を理解し、その特徴を個性と捉えることで、長く仲良く付き合うことは可能だ。これは私も経験している。

しかし、良心を持たないサイコパスに対して、発達障害やパーソナリティ障害と付き合うように、相手を理解し、長く、仲良く暮らすという事は避けた方がいい。

サイコパスが生活圏の中で避けられない人物であったとしても、出来るだけ関わりを避ける方法を考えたほうがいい。良心的な人であればあるほど、そうした選択をすべきである。

サイコパスも個性の一つと思って、理解に努め、優しく思いやりをもって関りを持った場合、サイコパスの餌食となり、不幸に陥ってしまう危険性が極めて高いからだ。

このあたりの危険性が指摘されず、サイコパスがどういった人なのかの説明も分かりづらい。やはりお薦めできない本である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?