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【虎に翼 感想】第42話 家族のために


終戦後の生活

不器用な寅子が、直明とともにマッチのラベル貼りと箱詰めの仕事をしている。問題なさそうで安心した。はるさんと花江は繕いものの仕事を始める。それぞれが、得意なこと、できることをして生き延びている。
重田のおっちゃんがいると和む食卓。

あっという間に昭和21年1月。とはいっても、食卓の風景だけでは、お正月だとはまったく分からない。とにかく食べることで精一杯である。
直言の「こうやって、家族そろって新年を過ごせることに……」に、全視聴者が「いや、揃ってない!」と思っていたら、やっぱり、「あ、いや、揃ってはいないんだが……」と言ってくれてホッとした。
花江も、「もっと優三さんの話をして。写真も飾っていいの」と、半年くらい溜めていたと思われる言葉を発する。家族皆が、支え合って生きている。

写真……よく見たら、優三さん、カメラ目線全然できていない……昭和生まれの自分にはちょっと既視感ある感じだけど……今みたいに何度も撮れなかったからね……笑ってごめんね……


昭和21年5月

ラジオからは、東京帝国大学の入学式のニュースが流れる。一瞬、手が止まる直明と、それを見る寅子。
夜、直明は台所でこっそり本を読んでいた。アドラー著『問題児の心理』。岡山からの切符代のために本を売ってしまっていたが、これだけは手放せなかったのだ。

そのとき、寅子が行李箱を開けた。あの日以来、封印していた行李箱を。
空襲に遭わずに、燃えていなくてよかった。
寅子は、自分のためではなくて、弟のために本を取り出した。そして、弟に学ぶ喜びを知ってもらいたくて行動したことが、寅子に心境の変化をもたらしていた。

・・・・・・・・・・・・
久しぶりに雲野法律事務所を訪ねた。辞めたのは昭和18年だったから、2年以上ぶりだ。雲野弁護士も髭をたくわえている。
寅子は戸惑いながら、依頼者側の席に、お客さんとして初めて座る。たぶん、弁護士時代は座らないようにしていたと思うんだ……筆者も事務職員時代、会議室の広いテーブルで作業するときなんかは、なるべく弁護士側の椅子に座るようにしていたから。

イソ弁(勤務弁護士)岩居がお茶を出し、「(寅子が)あのとき辞めておいて正解だったよ」と切り出す。依頼件数も減り、パラリーガルよねと事務員常盤に辞めてもらっていた。事務方の仕事は、弁護士はやろうと思えばできるが、法曹資格を持つ弁護士の仕事は事務方にはできない。立場的にやむを得ないことだ。雲野は相変わらず困っている人の依頼を受けてしまう。
その話を聞いた寅子は、「雇ってくれ」とはとても言えなかった。

「山田(よね)くんは空襲で死んだ」という話が出なかったことにホッとした。それだけでも、訪ねた甲斐があったのではないか。

野菜が小さく見えるのは、塚地が持っているからなのだろうか。


直明の立ち位置

食卓での直明のポジションがすっかり変わっている。子供の頃は、大人たちのいるテーブルではなく横のちゃぶ台に座っていたのに、今では “跡取り席” ともいうべき、以前の直道のポジションにいる。
だけど、寅子には、相変わらず可愛い弟でしかなかったようだ。
「優三さんが戻るまで、私が支えないと」と、また気負ってしまう。寅子本来の気質が戻りつつある。
直明は直明で、「弁護士に戻らなくてよい」と言う。俺が頑張ると。
姉弟が互いに支え合って生きている。


直言の秘密

最後の3分が辛すぎる。
昭和21年10月、直言はどんどん弱っていた。
部屋で倒れた拍子に落ちた写真立てが外れ、中から紙切れが出てくる。
「見るんじゃない」と言われても、瞬時に察知した寅子は、その紙を広げてしまう。

“昭和21年4月25日、遼寧省にて戦病死”

満州にいたのか……優三さん……


「虎に翼」5/28より

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