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親の仇のハンバーグ #創作大賞2024

制限を受けた後の食事ほどおいしいものはない。病気になり、入院をして、初めて体験したことだ。病気も悪いことばかりではない。今回は、そんな話をご紹介したい。


2021年4月、私は乳がんと診断された。しかも、その中で5種類に分類されるサブタイプのうち、最も予後の悪い “トリプルネガティブ” との判定を受けてしまった。この時期の詳細は、またの機会にご紹介する。ともかく、治療に専念するため、勤めていた法律事務所を退職し、すぐに治療が始まったのだ。まず、がんの摘出手術を行い、その後、半年間の抗がん剤治療を経験した。

幸い、3年経っても寛解(がんが縮小または消失している状態)が続き、現状、年に1回の定期検査のみで、何の治療もせず元気に過ごしている。一時は絶望的な気持ちになっていたが、早期発見により長生きすることが可能な時代になったことを実感している。

摘出手術は、左胸を全部取るものであった。そして、1年後には患部の傷も落ち着いたので、私は再建手術を受けることに決めた。
再建手術にはいくつかの方法があるのだが、医師の助言も得ながら慎重に検討した結果、お腹の脂肪を使う ”自家組織” の方法を採用した。この方法は、手術時間が長く、体を傷つけるので負担が大きいが、手術後のメンテナンスは必要ない。なので、あくまでも長生きすることを前提に、これに決めたのである。
事前の検査などを経て、2023年4月、いよいよ手術の日を迎えた。


手術は、お腹の脂肪だけでなく血管ごと取り出して、胸に移す際に血管を縫合するという大がかりなものだった。前日に検査をして太い血管を選んだ結果、へそを切り取ることになったので、その1センチくらい上に新しいへそを作った。

手術時間は8時間にもおよんだ。私は麻酔で眠っていたからあっという間だったが、ずっとイスに座って待っていた夫は、腰が痛くなってしまったようだ。
それなりに大がかりな手術だったため、終了後は経過観察が欠かせない。手術日を含め4日間、ICUのような特別室に入り、ベッド上で過ごすこととなった。何があってもいいように天井にはカメラも付いていて、完全看護体制が整っている。


特別室での4日間は、それほど大変だったわけではない。最初の2日間は麻酔の影響もあってか、ほとんど眠っていたし、残りの2日間はテレビを見ることができたので、むしろ退屈なくらいだった。

ただ、1つだけツラかったのが、排尿用の管が入っていて、ベッドから降りてトイレに行くことが禁止されていたので、お通じが心配で食事を我慢したことだった。
看護師は、「どうしてもというときは言ってくださいね~」と、こともなげに言う。どうやら、小さい便器のようなものがあるらしい。介護される気持ちが分かった……やはり患者にとってはハードルが高いことである。

お腹は減っているのに、食べる手を止めてしまう……寝てごまかせるかな……寝てみよう……我が腹ながら、ごまかしの効かぬ相手だ。
ある日のメニューのコーヒーゼリー。2口分残したことは、今でも最大の後悔となっている。

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事件は3日目に起こった。夕方のことである。すでに麻酔も抜け、日中はテレビを観るか本を読むかをして、退屈な時間をつぶしていた。食事も流動食から固形物に移っていた頃で、コーヒーゼリーを残したのは、その日の昼だったはずだ。
相変わらず我が腹は騒いでいる。上から見ている ”二代目へそ” も驚いていることだろう。

そして、そのときがきてしまった……空腹から気を紛らわすかのようにテレビを見ている私の目の前に、某ハンバーグ店のCMが流れたのだ。
ソースたっぷりハンバーグの上にチーズが流れる。とろ―りとろーり。そして、チーズとソースが絡み合っているそれを、笑顔で食べるお客さんのうれしそうな顔ったら……今、これを私に見せるのか……。

もはや私には、親のかたきとしか思えなかった……。

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次の日の午後、管は取れ、私は車いすに乗せられ、一般病棟へ護送された。


病院の消灯は夜9時である。眠れるわけがない。
古典的な睡眠導入法としては「羊が1匹……羊が2匹……」がおなじみだが、そのときの私の睡眠導入法は、退院後に何を食べるかを考えることだった。
退院した日の昼はラーメン、夜は唐揚げ屋さんの唐揚げとフライドポテト、スーパーでキムチは絶対に買う、お寿司などなど……。ラーメン屋の候補は2店に絞られ、どちらにするか3日ほど真剣に悩んだ。これではますます眠れない。朝6時にやってくる医師と看護師をあやうく恨むところだった。

病院の食事は、決して満腹になる量ではないし、味つけも薄めだ。だから、”飽き” との戦いだった。しかし私も入院は初めてではない。前回の反省をふまえ、今回は事前にチョコレート菓子を用意して、冷蔵庫に入れておいた。午前の看護師の巡回が終わった11時頃に、1階のコンビニにコーヒーを買いに行き、菓子とともにゆっくり味わうのが楽しみの時間となった。
ふりかけも持参しておけば、完璧な一般病棟生活を送れたかもしれない。

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2週間の入院期間で身体は順調に回復し、退院が決まった。私は看護師に満面の笑みを向け、病院を後にした。


治療が始まってからは、夫にいつも助けてもらっている。手術のときも、8時間、腰を痛めながらずっと待っていてくれた。

退院の日も車で迎えにきてもらった。
病院を出るなり夫は、「パン屋さんに行かない?」と言ってきた。
その時点で2年間通院していて初めて知ったのだが、病院の近くにパン屋があったのだ。夫は手術の日も、お昼どきには席を外して買いに行ったらしい。入院中にこの事実を知らされなくてよかった。3個買いたかったが、夫が2個だったので私も2個にした。


退院後は計画を一つずつ実行した。病院食に慣らされていた舌には、本当にどれもおいしく感じられる。ラーメンには特別にチャーシューをトッピング。唐揚げ屋のポテトの脂っこさがたまらない。キムチの辛さにしびれた。お寿司も、普段は行かないような店に行った。あのホタテのボリュームは忘れられない。

そして……親の仇である例のハンバーグ店への討ち入りも、決行することとなった。



退院してからというもの、私は、討ち入りのことなど微塵みじんにも考えていない素振りをしていた。だから、浪士たち(夫)は、本当に討ち入りをする気があるのかと、気を揉んでいたはずだ。しかしそれは、敵を欺くための作戦だった。
機は熟した。いよいよ決行する。私は浪士たち(夫)に覚悟を決めさせた。

そして、キラ・ドンキ邸への討ち入りは、とある土曜日の午後0時と決まった。

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当日は、雪は降らなかった。5月だから。

ドンドコドンドコデンデンデンデン……
でんでん太鼓、いや、腹太鼓が鳴り響く中、キラ邸の前へ到着する。

私は気持ちを落ち着かせた。浪士たち(夫)は、いつでもいけます、と頼もしい。あとは私の合図次第だ。腹は決まった。いざっ!!

カランコロンカラン~
門扉を勢いよく開ける!

「たのもー!」

「いらっしゃいませー。何名様ですか?」

「あ、2名です」
テーブル席へ通される。ひとまず様子見だ。
メニューは広げて立てられる形のものだ。よしっ、これを通路側に立てて、敵(店員)の様子を伺うとするか。

敵(店員)もこちらを見ている。しばらくにらみ合いだ。

敵(店員)がこちらに近づいてくる。向こうが先制攻撃か。防御だけではだめだ。こちらからも攻撃を仕掛けなければ……
ん、なにかボタンがあるな。爆弾が仕掛けられていて、これを押すと爆発する仕組みか。よし、これを押してみよう。

ピンポーン!

「お呼びですか。ご注文はお決まりですか?」

「あ、チーズハンバーグと、おろしそハンバーグを1つずつください。あと、食後にホットコーヒーとアイスカフェラテを1つずつ」

「かしこまりました。メニューをお下げします」

敵(店員)もなかなかやるな。しばらく様子見だ。

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動きがないまま20分が過ぎた。どうする!

敵(店員)がまたこちらへ向かってくる。なにか丸いもの(トレー)を持っている。新しい武器か。しまった!盾(メニュー)はさっき奪われてしまった。それにしてもゆっくり歩いてくるな。

「お待たせしました。チーズハンバーグとライスです」

「あ、私です」

「おろしそハンバーグもすぐにお持ちします」

「先に食べてていいよ」
浪士たち(夫)にすすめられる。やはりここは、大将である自分からだ。

戦いは、まずは、付け合わせのサラダ兵からだ。先頭にいたプチトマト兵を一口でパクリ。続いて、えいえいと、サラダ兵を一切れずつやっつける。ここまでで力を使い果たしてはいけない。奥へ進む。
ライス兵と、本丸、チーズハンバーグの登場だ。
私はまず、チーズハンバーグを切る作戦にでた。
カチャカチャと、ナイフとフォークが交わる音が響く。チーズがナイフに絡みつき、苦戦する。さすがあちらも大将だ。苦戦したが、先にハンバーグを切る作戦は成功し、あとはゆっくり食べるのみとなった。
チーズハンバーグを一切れ口に運ぼうとすると、ライス兵が、“私は置いてきぼりですか” と言わんばかりの顔をする。ならば共に連れて行ってあげよう。ハンバーグとライスを同量ずつ口に運んでいく。

15分くらい経ったであろうか。私のスローペースな戦いに、後ろから浪士たち(夫)が追い付いてしまった。おろしそハンバーグの皿は、すでに空になっている。急がねば……。

完食。
力を使い果たした……ホットコーヒーが五臓六腑に染みわたっている。


「お会計は、2900円です」

「ごちそうさまでした。おいしかったです!」

これは、完全勝利といってよいだろう。

帰りの車の助手席で、私の頭の中には堀内孝雄氏の『憧れ遊び』(1985年、日本テレビ年末時代劇『忠臣蔵』の主題歌)が流れる。

「は、しまった!この流れだと、最後、切腹じゃないか!」
時、すでに遅しである。


食欲バブルな日々も、1週間で崩壊することになる。そもそも小食だった私である。でも、こんなに食べることが嬉しくて楽しい1週間はなかった。

思い返せば、抗がん剤の副作用で吐き気があって食欲が落ち、体重が5キロ減ったこともあった。今は、高級なものでなくても好きなものを食べられるだけで、喜びを感じている。

あのかたき討ちの日から1年経った。体力も回復し、今でも何の問題もなく元気に暮らしている。
もちろん、再建手術も無事成功した。今年(2024年)のゴールデンウイークには旅行にも行き、人目を気にせず大浴場に入ることもできた。いまだにウィッグをつける必要があることなど、日常生活に不便さを感じることはあるが、焦らず、一つずつクリアしていきたい。

病気になったことでいろいろな欲が削ぎ落され、今ではシンプルな暮らしを楽しんでいる。これからもそんな日が続きますように。

2023年春の、食事がおいしかった、そんな話です。

おわり

(4,466 文字)


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