10服目:2023/9/9(土)席入・濃茶平手前

茶事に向けて

月末に初めての茶事を行うにあたり、席入りを復習。
初心者教室でも教わったのに、すっかり忘れている。特に、日常生活でも役立つ場面がありそうな襖の開け閉めは、ぜひとも覚えたい所作なのに、なかなか覚えられない。

秋のしつらえ

茶事では「中秋の名月」をテーマにすることが決まっているが、今日のお稽古も秋らしさ満点だった。

お軸は「閑坐聴松風(かんざして、しょうふうをきく)」
閑坐 とは、妄念を離れて坐禅すること。
松風 とは、茶釜の煮えたぎる音をさす。
ということで、静かに座って松風の音に耳を傾けてお稽古に集中するさまを指しているのかなと。夏の終わり、徐々に静けさが似合うこれからの季節らしいお軸。

茶花はりんどうと糸すすき。
茶菓は「重陽」と「はねうさぎ」だった。
秋ですねぇ。

寄り道ばかりの人生

今日はお稽古の後、ふたつハシゴしてひとりであそぶ。

まずはみなとみらいでのゆとたわの公開収録に駆けつけたのち、数年前に銀座の和光でたまたま目にし、心を奪われた某ファミリーのガラス作品の展示販売会へ。

人の手によって生み出された美しい工芸品。

「小さくて美しきモノ」という観点では、宝石に近い気もするが、宝石は自然の造形物の美しさを引き出したモノ。あくまで素材の美しさありき。

一方で、このガラス作品は、作者ご自身が「瞬間をキュッととらえた」とおっしゃっていたように、その人の技術でその人のフィルターを通して見る世界が表現されたモノだから、宝石とはまた違う尊さと美しさがある。

作品を買う「体力」とは

「何か気になる作品はありますか?」と問われ、蓋の天面に美しい細工が施された平棗を指した。「抹茶を入れると少し緑が透けるでしょう」と言われ、その様子を想像するだけでうっとりする。

たまたまお客が少なく、30分以上独り占めして作品の解説やいろいろなお話を伺うことができた。ほしい気持ちは大いにあるが、簡単に手がでるものではないので「いつか買えるようお金を貯めておきます」と伝えるので精一杯。

すると

「お金があっても買わない人もいるモノなんです」
「買うのにも体力がいりますからね」

とおっしゃった(ニュアンス)。

本人から言われるとぎくっとするが、前者はわかるような気もする。

前者のことばには、「高級ブランドのバッグを買うのとは違いますもんね」と私が返したのを受けて「バッグは人に見せるためもありますが、これは自分だけの楽しみとして買うものですからね」(ニュアンス)ともおっしゃっていた。

自分だけの楽しみのため、しかもさほど実用性のないものに大金を使えるか否かを分けるのは、所持金の多寡の話ではない。価値観や生き方の話と直結する気がする。

後者の発言は彼の言う“体力”の翻意をうまく掴めなかった。

美術を支える側にも体力がいるということだろうか?
たとえば、作品を1つ買って終わるわけではない。
パトロンになるのなら買い続けなければならない。作品を飾るにふさわしい住まいや暮らしを続けなければいけない。そういうことだろうか?
すぐに咀嚼できず、意味を問い返すことさえできなかった。

香合なら、足がつりそうなくらいがんばって背伸びをすれば、手が届かないこともないが、私にはこの作品を買える“体力”はまだないな、と思い至り会場を後にした。

美しいモノに触れるだけでも“体力”が必要だ。

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