16服目:2023/12/24(日)初炭点前・薄茶平手前

merry CHAristmas eve!

しょぼくれていたいつかのメリークリスマス(B'z大先生)から日々じわじわと元気を取り戻し、クリスマスにお茶でも点てようかしらという気持ちになっていることが、まず私はうれしいわけさ。(誰?)

さらに、先生からは、暮れの元気なご挨拶のお返しにと「茶道手帳」をいただいた。思いがけないクリスマスギフトに感謝! お稽古中の写真撮影をやめてみようと思った矢先の手帳。なんてすてきなセレクトなのでしょう。年始から毎回のお稽古で見知ったことをこの手帳にメモしようかな。ますますうれしいな。

一期一会の味わい、試食中

「一期一会」をより深く味わうために、しばらく茶菓や茶花を写真におさめるのはやめてみようかと、今日から実験を開始した(つまりはただ写真撮らないだけのこと)。

「書く」より「撮る」ほうが情報量が圧倒的に多いので、記録媒体としては「撮る」のほうが優れているのは当然だ。だが、そこに「一期一会」という視点が入ってきたとき、もしかしたら「書く」ほうに何か軍配が上がることがあるかもしれないなと思い。まあ、ないかもしれんけど(弱気)。

絵心はないが、さらに「描く」ができたらもうひとつ新たな視点が生まれるかもしれないなとも思っている。

迷いがないってかっこいい!

前回、自身の初炭点前を終え、今日はご同輩のターン。その所作がとてもカッコよくてずっと見惚れていた。

何がかっこいいって、足運びにまったく迷いがないこと! もちろんすべて正解というわけではないが、先生に細かな所作を指摘をされるとササッとすぐに修正できるのもかっこいい。

勘が良い、覚えが良いとはこういうことか!と。

大谷翔平くんが、メジャーリーグに移籍後「右足を上げてからバットを振る打法をやめた方がいい」と指摘され、その2日後には右足をつけたまま打てるようになったというエピソードを思い出す。

上達するには、自分の型をすぐに捨てられる「潔さ」が重要なんだなと。それと、自分の思い描いたように体を動かせる「身体能力の高さ」も! 運動音痴の私はどっちかということ後者が難しいっす…。

あらゆることに優しさがある

ところで、先生が同輩の初炭点前の最中に、「前回、おっちゃこちゃいさんのお手前でこの所作をお伝えするのが抜けていたの。ごめんなさいね、こういう所作があるからよく見ておいてくださいね」と教えてくださった。

え?そうでしたっけ…?(ぽかーん)

当の本人はまったく覚えておらず情けない限りだが、先生の心の根っこがお優しいことをあらためて思い知る。私が先生のお立場なら「たぶんバレてないし大丈夫やろ」と黙ってスルーしてしまうと思う(せこい)。

先生しかり、ご同輩しかり。「成長したいなら自分が一番下だと思う組織にいなさい」という話をよく聞くが、この社中は私にとってのまさにそれで、所属できていることが誇らしくありがたい思い。

薄茶席のお稽古では、瓢棚を使った薄茶席でお稽古をつけてくださった。

同輩のお一方がリクエストしたのだそう。以前、別の同輩が「お茶事で夜話がしてみたい」と言っていたのを聞いたときも思ったが、「あれがしたい」「これがしたい」と主体的に思えるのって素敵。私は何がしてみたいだろう。野点はしてみたい!

自分で考えた銘、爆誕

クリスマスにちなんだ銘を言いたいが、んなもん、あるわけがない。ということで初めて創作した。

「もみの木」。

アリなのかは不明…。聞き流してくださった皆さんのお優しさに感謝…。

もうひとつは「年忘れ」にしました。

お道具すべてが特別仕様

まずは茶碗。雪景色の藍の茶碗と白の茶碗がかわいい。そして既視感。去年の初心者教室でいつもと違うクリスマス柄の茶碗に胸躍ったのだが、その時のそれだった。いずれも先生の私物だったことが判明。大切な茶碗やお棗をわざわざ持ち運んでくださっていたのか…! 先生のお優しさはけっしてむき出しじゃない。いつも柔らかく柔らかく包まれている。

お軸の代わりにクリスマスリース。生花のフラワーボックスや木製のマグネット色のクリスマスツリーも華やぎをプラスしていて、本当にかわいかった。

赤ってなんだか特別

先生がお召しになっていた小紋のお着物もとてもかわいかった。20代の頃に仕立てたシルックとおっしゃっていた(うろ覚え)。

目に留まったのが八掛の赤。先日、鎌倉にある鏑木清方記念館で見た美人画で、藍や白の浴衣からチラッと見える長襦袢が赤い作品がありキュンとしたのを思いだした。小津安二郎の映画でも、大友克洋監督の『AKIRA』でも赤は特別な存在だった。鮮やかに印象を残す赤を裏地に使うセンスがとっても粋だなあ。

20代の頃の先生、鏑木清方の絵の中に息づく女性、そして今の私。三者が時空を超えて出会ったのもなんだか楽しい。

区切りの感覚はあまりない

年内最後のお稽古。「茶人の正月は炉開き」と言われているのを真に受けているゆえか、お稽古がはじまったのが5月だからか、あまり節目という感覚はなかった。来年もみんなが元気に、月2回のお稽古を続けながら、少しずつ、少しずつ、深く潜っていきたい。

それと、この社中ではあらゆる方面から教わることばかり。せめて「ありがたく受け取りました」という感謝の気持ちを残しておきたくて、このnoteを書いているのだなと気づいた。お稽古とともにこのnoteも細々と続けていきたい。

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