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毒親育ちのラストマン最終回感想

気がついたら号泣でした、最終回。

演技の上手い方達のドラマは見応えがあるー。ずっと目が笑っていなかった上川隆也さんが笑ってた。ぶっきらぼうな優しい手が息子の髪を撫でていた。
父が過去の過ちを認めた時、息子2人は何か支えがなければ立っていられない状態になった。上川さんが壁に寄りかかり、大泉洋さんが椅子に座り込むあのシーンは、家族だからなのだろうと思って見ていた。
大泉洋さんのラストの台詞は三谷版の源頼朝みがありました。政子。

オールアップのあと今は舞台を演られてるらしい大泉洋さん。大河のあとワニになって歌って・・そのあと何かあってこの情緒ジェットコースターの国民的ドラマ日曜劇場。ハードスケジュールですこーしおやせになった?少し大きく感じるお顔のパーツが戦慄いて、「お父さん、ごめんね」と泣きじゃくるシーン、方や此岸を離れようとしているお父様に安寧と感謝の念を伝えるクレバーで優しい実の兄。

何で劇伴がパッハベルのカノンなんだろうと考えている。
クラシックには縁遠いけれどこの曲のカノン部分は聴いたことがある。

カノンは概ね輪唱の意らしい。

ピアノじゃないバイオリンで奏でられるカノンは、3声が少しずつずれて曲を織りなしていく。もう1パート、ベースがある。
少しずつすれ違って、でも一つの曲を奏で続ける3人の父子と、少し離れて見守り支え続ける母親の、ひとつの家族の旋律なのかしらと思ったりするのだけれど、ピアノ版だと解釈も違うかな。自分、曲への理解も知識もなさすぎる。

泣けたのはつまり、「子供は親の言葉が必要な時がある」のくだり。
最近思うに、私の母はもしかして今で言うASDの部類で、振り回されてうつ状態になった私は所謂「カサンドラ症候群」なのかもしれない。
そのラベリングにあまり意味はないと思っているけれど、少し腑に落ちたりも、する。

体の悩みを打ち明けた時、母はわざわざ近所のご婦人方の前でその話をして私を嘲笑った。まだインターネットなど近くにない頃だった。
大人になり私は情報を得て独りで、その悩みと対峙した。
母は知らない。
悩みを打ち明けたことも、きっと記憶にないだろう。

不意に口をついてでる「駄目な子」「嫌な子」というフレーズは、私の心の中にあって不意に地表に出てくる。

駄目な子。

世の中には虐待、っていうヤツを日常的に受けて育った人もいる。暴力だとか、お金や食事や生きるか死ぬかの思いをしてきたひともいるのだから、自分なんてあまちゃんで、とも思うのだけれど。

それでもこのちっぽけな人生が岐路にあってのるかそるかの時にはせめて、少し支えて欲しかった。
世間体を気にする方が大切で「みっともない」とか「恥ずかしい」とか言わずに、味方でいて欲しかった。

愛されていなかった訳ではない。でも子供にそれが伝わっていなければ愛されていないと思ってしまっても不思議じゃない。

あなたが此岸を離れるとき自分は何を思うのだろうと、
ラストマン最終回を見てそんなことを思った。

そしてこうしてNoteに書いているそれは端から見るとチャイルディッシュな自分語りなのだろうけれどそれでも、書かずにいた時よりは余程マシだ。

ベテランのレギュラー俳優陣に加え若手、ゲスト俳優さんも良かった。
宮沢氷魚さん、前原こうさん、京本大我さん。
演じるって凄いなと思って見ていた。

何度か繰り返して見たい。
きっと気がつかなかった扉もありそうだ。

主演の福山雅治さん、大泉洋さん、
キャスト陣、
脚本、
演出、
携わった数多の人たち。
このドラマをありがとうございました。

エキストラに出てらしたという友人の旦那様、
まだお姿を見つけられません。どこにいらっしゃる?(笑)

そして自分で自分をハグしても、髪を撫でてもセロトニンはでるらしいので、とりあえず今日もお疲れ、自分(ハグ)。

お読み頂いた方ありがとうございました。
蒸し暑い日々ですのでお体ご自愛くださいませ。

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