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已己巳己(いこみき)


己(おのれ)というのは

あるときは「わたし」を指し

あるときは「あなた」を指す。

不思議な言葉だなぁと。


そう考えているうちに

たどり着いた言葉。

已己巳己(いこみき)


これはワタクシも最近知りましたが

「互いに似てて見分けがつかない」

という意味のたとえ。

四字熟語だそうですね。


「已然形」という言葉

むかし勉強した古文の活用形?で

覚えている人も多いでしょう。


已(い)は閉じていないのが特徴。

上のところがちょっと空いている。


「すでに、終わる、やむ。」などの意味。

已然⇔未然


簡単にイメージしやすいのは

未然の反対の意味ですね。


未然に防ぐとかの、未然の反対。

過去と未来でいえば、過去のイメージ。


己(こ、き)は口をパックリ開けてる。

こっちのほうがヘビっぽいけど

巳(み)のほうが十二支のヘビを指す。

面白いな~って思う。


だが、本来の意味するところと別で

已己巳己(いこみき)ってのも

ヘビの行列に見えてくる(笑)


過去のヘビ、ちょっと口開けて

様子をうかがう。

生まれて知らない過去を学ぶ

幼少期を指すのか?なんて。


口をパックリ開けて威嚇(いかく)

おのれの姿。自分だろうか。

子が社会に出て戦う意思を示すのか。


修羅場を生き抜く術のため

已む無く(やむなく)して

威嚇するのか。


口を閉じたヘビ、何を思う。

本来、一番ヘビらしくみえない。

シュルシュルと舌をも出さず

口を閉じて黙って見つめる。


ガマンするような、成熟した

大人の落ち着いた達観の時期?

いや、閉じて自分の中で

人格的な熟成を待つのだろうか。


最後、また口をパックリ開けて

最後は、何なんだろう?


あなたの姿?あなたのために?

他者のために、知恵を社会に

還元しようとするのだろうか。


そんなこと想像してたら

このヘビの行列は人生なのか。

人の一生が隠されているのではないか。


子が生まれてから、自分にとっての

過去をアレコレと覚えて、学ぶ。


そして社会に出て一筋縄ではいかない

相手と戦いながら生き抜く。


そうしているうちに立場を得て

安定して戦わなくなる。


しかし、それは閉じて自分のなかで

熟成を待つのだ。


そして、最後は熟成された知恵を

他者のため、社会のために還元するため

もう一度、開いて伝承させるという。


強引だけどそんな感じが

隠れているとしたら。


年を取った最期は誰かのために

すべてを伝え、社会に還元して土に還る。

そしてまた先頭の「已(い)」に戻る。


世代をまたいで伝えていく仕事が

最後の最期に残されているような示唆。


なんとも不思議な意味合いを

勝手に妄想してみた(笑)


なぜこんなことを思ったかというと

ワタクシの本名に

「巳」が入っているから。


ワタクシの名前は祖父がつけたようで

その意味は字面からなんとなく

こうあってほしいというのは想像がつく。


しかし、社労士の登録の際に

住民票をよくよく確認したら

生まれてこの方、「巳」だと

思っていた名前が住民票では

「已」で登録されていたから。


開業登録の際に初めて知ったのだ。

合格証書は「巳」だから「已」だと

やっぱり書類上マズイのかなと思い、

住民票の記載も「已」から「巳」に

変更したエピソードがあるんです。


でね、いまそれを直したことは

良かったことなのかどうかと考えたり。

祖父の時代はおそらく、手書きであり

さらに役所も手書きに忠実に

登録したのだろう。


もしかしたら祖父のミスで「巳」のつもりが

閉じてなくて「已」になっていたのか。

あるいは、役所も確認してのことで

意図的に本当は「已」なのか。


しかし名前は、巳(み)と読ませている。

ワタクシも何十年も疑いもなく

「巳」だと信じていた。


しかし、ワタクシ。

生まれはヘビ年の干支ではない・・・

ウサギ団の団員である。


ダウンタウンと同じ

我ら、ウサギ団!ぴょ~ん!の

ウサギ年生まれなんですよ。


小学校や中学校などいろんな

通信簿や卒業証書などをみたが

マチマチだったんです。

「巳」もあれば「已」もあった。


ということは、ですよ。

アレ?じいちゃん。

意図的な「已」なんすか?

って思ったりもして。


ちょっとおしゃれなじいちゃんで

自由人なところもあったから。


ミスかもしれないし、ミスをネタにして

それはそれで気づくか気づかないかも

おもしろいんじゃないの?って

面白がっていたのかもしれない。


ホントは意味を込めた「已」であって

自分が成長して、変えていくんだよという

メッセージなのかなぁなんて。

深読みしすぎだろうけど。


似ているものばかりの

已己巳己(いこみき)だらけの

世の中でも

違いを見つけられる人間になれよ

なんてね。


なんかいつも穏やかで物静かだが

どこか風流な感じの佇まいで。


ワタクシは「じいちゃん子」で

まだ離れて暮らす前は実家で

食事の支度を手伝ってご飯の準備をしたり。


最後、咽頭がんで声が出なくなった。

それでもまだ若い時分、世話がめんどくさい

っていう気持ちも正直あった。


時には怪訝な態度をしたりで、

それも感じてただろうに。

言葉を発せられなくなる苦しみを

なんら癒やしてやれなかった。

悪いことをしたなぁと、

いまは後悔している。


ワタクシが県外の大学に入ったために

離れてまもなく、病気が発覚して数年後。

亡くなってしまった。


その数年前に祖母が亡くなり、

後を追うかのように。


最期も会えなかったのだ。

ワタクシの母は嫁ながら

最後の最期まで病院に通い

一生懸命やってくれた母に

ありがとう、と遺して旅立ったという。


ホントに笑顔が人懐っこい素敵な

祖父だったのをいまでも思い出す。


ワタクシはこのエピソードは

自分の人生においては

何かの偶然やいたずらだとしても

なんらかの隠れたメッセージが

あると思いたい。


じいちゃん、ホントはどっち?(笑)

どっちでもいいか。

ワタクシが信じたほうで。


前向きに捉えて生まれて学んで

戦い、熟成させ

最後は還元すべきなんだろうな。

最近は、そう思うようにしている。


じいちゃん、読んでくれてるかな?(笑)

ちょっと泣きそうだ・・・(笑)













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