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自分の輝かせ方。


世の中のニュースや情報によって

輝いている人をたくさん見聞きする。


しかし、そんなことよりも

あなた自身は輝いているだろうか?


そう言われるとちょっと・・・

という人は世の中、案外多いはずだ。


他人の輝きは見聞きするものの、

自分の輝かせ方はすごく難しい世の中。

一部の人たちの輝きを羨むばかりで。


自分の輝かせ方は

金銭的な価値に換算できないし、

他人と比較するものでもない。


こうしたら成功するというものもなく、

多種多様で、ある種自由なことだから

正解がないから、難しいともいえる。


たぶんいつの時代も人間に

立ちふさがるテーマ。


いろいろと輝いている人を

見る機会が増えた現代だからこそ

余計に感情移入するだろうし、

逆に反感をも生むんですよね。


輝きを放つ人に対して、

手ぐすね引いてボロを待つ。

結果、そっちに向かう。

ミスしろ、スキャンダル起こせと。


気に食わないとか、腹が立つとか。

そういう感情がネット上には

渦巻いているように感じる。


自分を充実させている人は、

ホントは数少ないのかもしれない。


そういうキラキラした人に

憧れながら、うまくいかない自分や

世の中を羨むのか、恨むのか。


輝かせ方がわからずに立ち止まる。

人に教えを乞うと自分で見つけろと

それが本筋だからと言われてしまう。

そこで立往生する人がほとんど。


でもこの自分で見つけろ

っていうのはホントのことです。

心からのアドバイスなんですよね。


しかし自分の輝かせ方をいくら

勉強してもわからない、と諦める。


そのうち自分を定型のフォーマットに

落とし込み、妥協して暮らすだけ。


称賛する言葉を他人にかけ、

礼讃や評価をすることで

自分の承認欲求を他人で満たす。

代償行為のように、してしまう。


すごいなぁ、頑張ってるなぁ。

自分の気持ちを乗せようとしてしまう。

これを共感と勘違いしている。

たぶん、共感じゃない。


かと思えば手のひらを返して、

けなし、他人が転落するさまを喜ぶ。

ほら、失敗した。ざまぁみろと。

こんな独特な発散方法で世をたしなむ。


勉強したり、参考にしたりしながら

輝かせるもんではないと思う。


世の中の多くの人にとっては、

答えを自分でみつける問題は

超難問。だから価値がある。

そのぶん出会えた喜びも大きい。


なんというんでしょうね。

「ヘタに意識しないでできること」が

自分を輝かせることなんです。


それがビジネスになるか否かは

問題ではなくて。

人生で見つけられるかだと思う。


すり寄るビジネスマインドに

近寄りすぎて、みんな同じになり

結局、自分では色を出せずに失敗する。



そうやって自分で行き場を

なかなかつくれない人たちが

ネット上で発散しているんです。

社会の生み出した負の部分。


じゃあうまくいかないならば

どうしたらいいか?

みんなここでつまずき、立ち止まる。


助けを求めても、人生はもう戻らない。

誰も助け方を知らないのもある。


同じパターンを踏襲するということは

それだけ競争率が高いゾーンで、

すり減らしながら闘うということ。


でもみんなと同じじゃないと不安。

でもそれで何も変わらないと知った。


だから、みんなが行かない道を行く。

そこしか、生きてる面白さはない。


かなりのイバラ。突き抜けるために

自分に合う才能を引き出さなければ、

到底、成功の道は拓かないのだから。


こうしたらどうか。

みんなが行く道以外を、

何らかの形で経済的に後押しする。


一時的ではあっても働くことを

優先しなくても、しばらくの間

挑戦できる環境をつくる。


そして、新しい流れが生まれるのを

後押ししていく機運ができれば。


時間と余裕を与えなければ、

新しいアイデアや流れは育たない。


働きながら、いくつも掛け持ちしながら

夢を追えばいい。

みんなそうやってきた。

その苦労があってこそだ。


みたいなことを言う人もいるだろう。

しかし、それで救われる人数の規模の

話ではないし、そのやり方自体が

老朽化して時代的にも機能しない。


よく陥りがちなのは、

同じように苦労したものしか

認めないとか、

同じ手順を経験をしてきた人しか

認めない、みたいな。


米粒ほどのわずかな

選民意識を刺戟するのか。

エリート意識やプライドが

高くなるだけで社会全体は

まったく前に進まない。

むしろ停滞を招くだけのプライド。


そこには敷かれたレールがあるから

頼りにしてしまうというワナが、

大きく口を開けて待ち構えている。


コロナ禍のちの世の中では、

もっと順番待ちを強いられて、

気づけばもう、老人。


ただ仕事をあてがい、生きている。

楽しさを見つけられず、人によっては

孤独と向き合うことも避け、逃げて

ただ、生活するだけの人生を生きる。


私たちがいま、やっている助け方は

そういう方向性なんですよね。


ボランティアとかNPOとか、

そういうのじゃない。

そういう正義の掲げ方では

もはや、多くの人は動かない。


これまで積み重ねてきた構図からは

新しい流れはなかなか生まれないと

わかっていながら、

古い流れを断ち切れずに、

救世主を待ち望むだけになっている。


救世主を待ち続けるだけで、

人の心と身体をすり減らしながら、

私たちは次の時代へ繋げられるのか。


生活保護という名目で、

ギリギリのお金を握りしめて、

ただ日々の生活を営む。

そこに生き甲斐はあるか?


おそらくはないでしょう。

古くなりすぎた欠陥だらけの道を、

進むことしかできない社会では、

救われない人間が増え続けていくだけ。


新しい道をつくらなければ。

次の世代のためにも

老朽化したレールに乗らないと

人生踏み外して負けだと、

あきらめてしまわないように。


まずは新しいことに取り組むために

経済的に支援しながら、人を促す。

その環境づくりが急務ではないだろうか。














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