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重いの、今日言う(思いの共有)~開けなきゃならない箱。


誰かに、誰かが

発信すれば

誰かに届く。


いまさらながら

困難であっても

助けたり、助けられたり

誰かに認識される可能性は

過去最高に上がった。


だがそれは極々、

一部にすぎない。


これまでは誰にも

気づいてもらえなかったことが

誰かに気づいてもらえる。

そんな時代になった。


誰にも言えなかったこと

自分ひとりじゃ重すぎて

疲れる、ラクになりたい


ちょっとだけ荷物降ろしたい

いったん置かせてもらっていい?


そんな感覚で、なにげなく

ネット上にポンと置いてみる。


それは何気ない日常のことや

自分の中に置いておくと

居心地悪くなるからと

半ば強引に置いていくものもある。


人目のつかないところに

粗大ゴミを不法投棄するように

重くなった気持ちを降ろそうと。


ただ降ろしたした先のところで

一極集中が起こってしまう。

そこは無間地獄。


そうだよね、そうなんだよなぁ。

で、終わってしまうことが多い。


言うには言うが言う先に

どうにかせえよと押しつけ

次の展開には参加しない。

これでは前に進むのは遅れる。


みんな参加する意識は薄く

とにかく言いたい、降ろしたい

その先は知らん、知らんよ。

誰かやってくれよとなる。


その一極集中の場を

分担して主体的に参加する

展開をつくるべきだろう。


現代の日本は滞った場を

箱に見立てるとすると


そこに押し込め、スッキリして

見ないふりして、日常に戻る。


箱は文字どおり展開できるはずだ。

開いてどんなふうになっているのか

誰も関与しようとはしないんです。


数多の問題のネックがココニアル。

問題について自分から降ろすだけで

ゴミ捨てました、あとは専門の方に。


こっから先に進むことはほぼ無い。

箱には人や物、さらに後悔や憎悪

有形無形のものが混在する。


箱に一時的に避難するも

避難所から出られなくなって

滞留してる人も多い。


開けてはならない箱なのか。

人間はこの箱を見ないふりして

このまま進み、淘汰を待つのか。


しくみをつくるまで待ってから

動くのでは、まず進まない。


しくみまでのトライ&エラーを

しながら進めないと進まない。


さらに大事なのは本人が

トライ&エラーに主体的に

参加しながら進めること。


そうしない限り

寄っ掛かる構図は変わらず

自分の足で立つことが

できないということ。


この箱はいつか

開けなきゃならぬもの。


箱で死ぬか、開いて挑戦して

死ぬのか、どちらが後悔しない?


箱を開ける取り組みと雰囲気を

同時進行でつくらないと

新しいことは進まない。


うまくやろうとすると

時間がかかりすぎる。

やはりしくみより積極性を

持てるような雰囲気づくりが

何より重要なカギになるはずだ。


重いの今日言う、だけで済まさず

思いの共有をしつつ、同時に

自分から参加していくしか

箱から先の展開は望めないだろう。






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