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ウィズコロナの下にゼロコロナを着る日本人。


スポーツ界でにわかに高まる

「声だし応援」の解禁の是非。


「声だし応援」という括り方。

これを認める認めないという

発想の仕方。


既にこの段階で私たちは

犠牲という名の抑制に

無意識に取り込まれている。

ん?意味わからん入り方(笑)


なんでも型なのかな?

なんでも許しを得ないと

自然な感情の発露すら

私たちは許されないのか?


声を出すことは

自然な感情ですが。

もう人間の原点的な発想も

慎重さの前に屈したのか。


これを枠の中で括り

大衆も枠にこだわりすぎて

お達しを待つような姿勢。


この姿勢が日本のすべてを

物語っているのではないのか。


感情の発露さえ躊躇させて

制限してしまうような国は

ちょっと恐ろしい感じがする。


私たちはあの、

あのアジアの大国のような

ゼロコロナのカテゴリーに

いる現実を脱却しないと

ますます立ち後れてしまう。


どうも私たちは表向きは

ウィズコロナだと叫ぶんです。

表向きはね。


でも感情の指揮命令系統で

タクトを振る心の奥底では

ゼロコロナをまとったまま

脱ぎ捨てようとしないんです。


ウィズコロナを全部脱がせば

ゼロコロナをまだ着ている。

ちゃんと着崩れしないように

しっかりと着用している。


これはみんな潜在的に

そうかもしれませんよね。


おそらく、大丈夫だと

科学的なデータが

立証されない限りは

動けないんでしょう。


逆に死んでしまいます。

逆に病んでしまいます。


だったら一部の地域で

マスクを外す実証実験するか

といったら

そんなこと誰も手を挙げない。


結局は指示待ち姿勢に

ゼロコロナを重ね着して

暑くても我慢して過ごす。

七並べ状態。



でもゼロコロナは脱がない

脱げないまま。


自分の意思がどこにもない。

そんな体たらくが

恥ずかしくても我慢

してしまうのが日本という国。


欧米からはシンジラレナ~イ!

そんなジローラモみたいな

リアクションが返ってくる

かもしれませんね(笑)


これはもう政治家がどうこう

ではないですよ。


もう国民全体の人任せな

責任逃れの成れの果て。


批判承知でやる競技団体が

出てこないかな?


個人的にはJリーグは

そうであってほしいと願う。


野球絶対優位の中で

批判されてもサッカーの地位を

日本で向上させたのだから。


誰かがムリヤリ壊さないと

この意識の壁は崩れることはない。


声を出しましょうよ。

自然な声を。


自然な感情を乗せて

打ち破りましょうよ。


鳴り物なんか要らない。

タイコもラッパもメガホンも。

なんも要らねえ。

そっちに気づくいい機会だし。


競技を楽しむ声を

自然に出せる環境に

変えていきましょうよ。


ノンノムラさん、やろうよ。

川淵さんらが切り拓いた

フロンティアスピリッツ。

忘れてはいないですか?


(と書いていたら、やる方向で

進んでいるらしい。)

1日も早く実現することを

願っています。







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