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「アイトウノイ」より心からの言葉を。


エリザベス女王への

各国の首脳らの哀悼の意を

それぞれ観ていると感じる。


日本は、いつもそうなんだが

用意された文章を抑揚なく読む。

それがまるだしで伝わってくる。


他の国も用意された文章だろう。

直接関わりのなかった人もいるだろう。

でも読み手の心が言葉に乗っている。


たとえ外国語で日本語の字幕でも

言葉を噛みしめている感情や表情で

気持ちを乗せたナチュラルさが伝わる。


ちゃんと気持ちと感情が伝わるよう

スピーチすることも国を代表する

為政者の心得だと、わかっている。


誰しも言葉は人間、自分で

自分の意思で話すものだ。

たしか、そうだったはず笑


なぜこんなにヘタというか

ダメに映ってしまうことを

意識しないのか不思議で仕方ない。


言葉に自信が無いのもあるだろう。

ミスを責められ揚げ足を取ることを

恐れるからでもあるのだろう。

すべてが消極的な日本の雰囲気。


みんなでミスを責めながら

溜飲下げして、余韻に浸る。

前に進むことなど重要視しない。

過去をなぞり、過去に生きる。


しかし過去をなかったことのように

思いっきりケツを蹴飛ばすことも。


某団体と関わりがあった政治家を

公表したところで、何が?笑

そんなことして意味があるのか。

高評価に転じることなどない。


むしろ経緯はどうであれ

一切関係を断つという宣言は

あまりに人間味がなさすぎる。


正直、そこまで協力してもらって

人間として汗を流してくれた人へ

感謝する言葉がない割り切り方に

逆に信用できない怖さを感じる。


選挙等の様々な活動などにも

人的協力を含め手伝ってくれた

そのことへの気持ちを素直に

表明することも許されないのは


政治と宗教の問題と関係なく

人として、不義理すぎるのでは?


表立って言うことがイメージを

悪くするという飾る気持ちより

私たちは人間らしい素直な言葉を

聴きたいと思うのは間違いだろうか。


冒頭の哀悼の意と同じで

本質的に日本人には大きな欠陥が

共通してあるように思う。

ナチュラルさがないというかね。


宗教など、といったらアレだが

良くないことはわかるけれど

実際に選挙活動を応援してもらった

その人たちに対する感謝の意を

あえて別に表しても構わない。


むしろそれくらい他人と違う

意思を表明したほうが逆に

人物としての評価は上がるはず。

案外、そういうもんですよ。


みんながそうだと思うことには

答えはないことが多いから。


結果的に振り返れば

多数に存在を消されてしまう

少数意見のほうが適切だった

ということが、あるように思うから。


私たちがいま出す答えは

いまは正しいと思っている

かもしれない。


しかし、その正しさを決めて

結論づけるのは私たちではない。


昭和時代に正しいとやったことが

これだけ否定されることが多いなら


同じように、平成や令和の決断が

否定されることもあるんだろう。


だとすれば、正しいと思うことにも

別の視点で意見を持って主張するのも

案外、無駄にはならないと思う。


なぜか、どれかひとつを選んで

そのひとつだけを握りしめて

一生離さないで生きようとするが。


私たちが握りしめる正しさには

本当の答えはないのかもしれない。





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