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負けた人がハタラク未来に。


もしかしたら私たちの社会は

人がそれぞれ人生であきらめたものに

成功している人を取り上げすぎて

簡単に見せすぎているのでは?


それぞれの人生、いろいろである。

情報を遮断すればいいが

そう簡単に遮断して生きてはいけない。


遮断するとすべてを断たれてしまう。

そんな恐れすらあるから。


もう情報を選んでいるイトマがない。

手のひらに少しあまるくらいの

長方形の野郎がどんどん通知する。


自分があきらめていることで

成功している他人を常に見聞きする。


すると、どうなるであろう?

感情は忙しくならないだろうか。


組み立てられたシステムの中で

うまく立ち回れなかった人が

世の中にはたくさんいる。


自分でも環境さえあれば

同じようにやれるのに、悔しいとか。


逆に成功している人の情報で

自分の不遇さをあらためて

突きつけられてしまうような。


単に情報を制限すれば

解決する問題ではない。

それをするともっと社会の

ストレスが充満してしまう。


問題は、そういう状況にいる人が

浮上するチャンスが無いから。


そのチャンスを与えるくらいでないと

いまの社会は、何も進まない。


失敗してしまったと後悔。

でもその先の浮上の機会が

十分に得られないでしょう?


それは自分のチカラ不足だと

言い聞かせたとしてもです。


負けた人を、じゃあどうやって?

という局面にたくさんの人がいるのに

誰も何もできないままで。


結局、政治家が悪いと

責任転嫁することで

溜飲を下げているだけ。


もし政治が何もできないなら

チャンスを自分で切り拓くために

何かできることがあるのでは?


それは間違いなくキッカケです。

キッカケを与え、挑戦する機会を

広く当事者の意見を聴きながら

整えて自分たちの足で歩ませる。


大事なのは、当事者が主体となって

話し合うことなんですよ。


これまでは用意された土台があり

その土台を疑おうとしなかった。


無理もないでしょう。

その土台は先人たちが

築き上げたものであるから。


踏襲しながら微調整することが

役人の正義だと信じるから。

その踏襲がこのありさまで。


おそらくそれでは解決しない。

だが役人はそこを譲れないんです。


自分たちが主導権を握るという

スタンスをなにがなんでも

放棄できないんですよね。


築き上げたプライドがジャマする。

やっぱり、なんだかんだで

選ばれた人間という意識が強い。


うまくいかないのに

自分たちが手綱を離せば

社会はもっとうまくいかなくなると

思い込んでいるからです。


しかし時代は権力重視では

もうそんなにうまく回らなく

なってしまっているんです。


大衆に委ねるのは負けではない。

むしろ人口が多くなりすぎた

その弊害なのだから

民間や当事者をまじえて

負担や役割を分け合うべきで。


国や役人がすべて管理して

うまく回る人口の範疇を

越えてしまっているのが現実。


そこを認めたがらずに

オモチャを離さない子供のように

振る舞ってしまうんですよね。


決定権を離すことは

負けではないんですよ。

人はオモチャじゃない。


むしろ、決定権を離して

人口の数だけのチカラを

国力にうまく変えられるほうが

広い意味で勝ちに繋がるのでは?


それをできないでいるのは

エリート意識、選民主義の

弊害なのではないのか?


頭の良い人間であるなら

言ってることはわかるはずです。

その決断をするかしないかだけ。


それで数十年先の未来は

変わると思いますよ、絶対にね。






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