日本人の危機意識と本気度。


やはり本気度が諸外国と違う感じがします。

右に倣う文化を得意とする日本も

外国を倣う気持ちにならないのは、

不安を打ち消したい気持ちが強い、

本気度を国民が受け止めきれていない、

ということが原因だと思います。


これからひとつひとつの出来事に、

さまざまな日常がストップをかけられるごとに、

だんだんと実感していくことになるんでしょう。


ここでいかに次のアイデアを出せるかどうか。

自分たちが本気で考えて自主性をもてるかどうか。

これがカギですよね、ホントの人間力が試される。

サッカー解説の山本昌邦みたいな言い回しですけど(笑)

日本人が変わるチャンスにもなるはずです。


まだ実感がないんです、日本は。

何かの記事で日本人はパニックにならず落ち着いていると

外国人が賞賛してるものがありましたが、

あれはまったく違いますよ。見方が甘いです。


ただ単に、何をすべきかを強く指示されないと

動けない国民であって、立ち尽くすのみだということ。

騒いで取り乱すのがみっともないから黙るだけで、

誰かが方向性を示して、それに従うことでしか動けない。

そういうやり方でしか、社会を回してこなかったツケ。

残念ながらこういう負の側面が浮き彫りになってるだけです。


あえて鼓舞しなければ、強く引き締めなければ

私たち日本人は本気にならない、なれないんだと思います。

ここにはひとりひとりの自主性のなさ、

アクションでなく、リアクションな気質も関係している。


危機的状況をどこか他人事のように、

はやくおさまってほしいですね、と自分は関係ないような

素振りで日々の変わらぬ日常にすがる毎日。

日常に戻りたい気持ちでしか表現できない。

あまりに快適な日常が、壊れていくという

非日常の経験がないからこその、

危機意識の欠如でもあるといえると思います。


ずっと永遠に平和が続く前提で、人生も経済も

変わらぬ日常がやってくる前提で、その延長に

自分を置いて生きているフシがある。

違うんですよ、ソレ。それじゃ大変なことになるから

自分ゴトとして受け止めなければならないんです。


大事なことは、本気になること。

そして自分さえよければ、をあえて捨てること。

笑っていられなくなるかもしれないということ。


このスイッチは政府が入れなければならない。

あえて厳しく、強く本気度を示していかないと、

私たち「ガラパゴス国民」は実感できないんです。


悔しいですけどね、残念ながらそれが現実。

キレイな言葉や、正論だけ掲げても

丁寧な言葉でお願いしても、響かない。

なれあい、なぐさめあいに終始するだけ。


ホントの意味で危機意識の欠如を

世界中から非難されるハズカシメを受けていると

自覚しなければならないんだと思います。


さぁ、私たちは変われるんでしょうか?

このままでは他国に買われてしまうばかりで、

からかわれてしまうばかりですよ?




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