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こころここにあらず?


しゃべくりを観たが、ココロくん。

もう小6なんですね、はやっ。


彼のような子をみて、

しっかりしてるなぁ~ってのは

すばらしいのか否か。

単純に言えないですよね。


あの子は例外としてみたらいいんですけど

無意識に自分の子にも同じ基準で

そうあってほしいと願うのはちょっとね。


いろんな環境が充実していてこその、

個人差あり、なものですからね。


もっとヘタこいていていいし、

もっとバカでフマジメでいいよ。


子どもがそんな感じでいてくれたほうが、

大人は少し安心する気持ちも

こころのどこかに、あるのかもしれない。


大人はそれを叱りつつ、育ててきた。

だからすぐに同じになろうとしなくていい。

実は大人も至らないところもあり、

成長過程ですからね、忘れがちですが。


他人との違いがあって、認め合えて

それがまた違う気づきになる。


だからこそ、自分と違う他人を

許せるようになるんだと思います。


みんなが同じ基準をめざして、

そこに達しない人を徹底的に

責め立てる構図。

コレ、最近のトレンドですよね?(笑)


やっぱりいわゆるひとつのね、

上級国民たちの仕掛け、意思が

働いているんだと思うんです。


あらゆる業界、分野で

上級たちが自分たちの基準で

物事を進めようとしていく。


中流のなくなった日本では

みんながその基準の高さに

ついていこうとするしかなくて、

どんどん苦しくなってくる印象です。


子どものころからハイペースに巻き込まれ、

途中でついてこれなくなる人たちを、

そのまま見捨てていくんですから。


自分たちだけは安全地帯を確保しつつ、

ビクトリーロードを進んでいくみたいな。

エンジンも血統も違うからと。


個人差を逆手にとっていく、

そんなレース展開もみえてくる。

上流以外は消耗度が激しい。


現代の子どもは生まれたときから

便利すぎるきらいがあるから。


ちょっと用意すればみんな同じ環境を

享受することができてしまう。


しかし、同じ境遇は同じ色のものだけを

好むシンパシーを生み、他を排除しやすい。


むかしと違って大人は子どもにも

「同じもの」を与えているでしょ?


むしろ、早くから大人と同じものを与えて、

おぼえさせるほうが、いいと信じて疑わず。


しかもずっと同じものは経済的にキツイ。

誰もが叶えられる環境にはない

そんな現実が刺さる。


ワタクシの知る、むかしの大人は

子どもには「同じもの」を

与えていなかったように思う。


もちろんみんながみんな、

今のように、できなかったからこそ。


親なり大人なりは、当時は

お前らにはまだ早いと言わんばかり。


その理不尽に近い威厳が幼少期に

生きていく上で不可欠な忍耐力を

結果的に高めてくれたともいえる。


この「同じもの」というのは、

大人と同じ目線、同じアイテム、

同じ態度、待遇、環境なども含む。


むかしは大人と子どもを分けていて、

子どもに大人と同じ目線を

与えていなかった。


たしかにそうだった。

子どもには子ども時代にしか

味わえないことがあっていい。


そしてあまりに、なにもかも

揃えすぎないほうがいい。


ハナたらしていたり、

オシッコ、ウ〇コもらしたり(笑)


泣いて傷ついて、また立ち上がる。

その繰り返しでいいじゃないか?


それを経たうえで大人の考え方になる。

そのほうが幅が広くなると思う。

いろんなバランスがとれる。


最初から大人だとその大人の尺度で

しかもかなり整った環境の尺度でしか

ものがみれなくなってしまう人が出てくる。


それがプライドとなり、下がることを

下げさせられることを、

許せなくなってしまうのだとしたら。


各家庭の程度の違いはあるが、

一般的にはその子どもが

大人を見上げるサマを見ることで、

少しだけ大人を尊敬する目線を育てた。


また逆に、反面教師のように

大人と違う角度からみるからこそ、

大人をこころのなかでは軽蔑して

あんなふうな大人にはなるまい、と

こころに誓ったりもしてたはずだ。


よく子どもと同じ目線で、という。

それはそれで、正しいのかもしれない。


でも子どもと同じ目線でというのは

大人からみた、子どもに対する

目線であると思う。


大人自身が自分の至らない気づきを

得るためのものだと思う。


子どもに同じもの、目線、待遇を

見せてやることではない、って思うんです。

このあたりで「?」な内容が増えてきた(笑)


ちょっとずつ、ズレてきて

本来許しちゃいけなかった判断を、

まぁいいんじゃない?って許してしまう。


その積み重ねの甘えや緩みって

大きな違いを生んでるなって思うんです。


たとえば親がゲームで遊ぶ。

子どもと同じように

ゲームで遊ぶ、課金して遊ぶ。

そこまでしてやる?


それを見せてしまうことって、ホントは

許しちゃいけなかったのではないか?

見せちゃいけない姿だと思うんですよ。


子どもはいつだってまっすぐな目で

正論で攻めてきますから。


その攻めを親は「責め」に感じて、

子に許して、与えてしまう。

親はその答えを言葉にして

子に語ることができないから。


大人が理解するためのものを、

子どもにも、同じくあてがうのは違う。


最初っから100点のモノを与えると、

いつも100点が欲しくなる。

いつも100点は取れないし、

110点でないと満足しなくなる。


大人が子どもの気持ちに寄り添い

気づいてあげることが、傷つけないことが

やさしさ、子育てだという。


ココロくんをみて、ワタクシは

いろいろと思いを巡らせながら、

書いていたらワタクシのほうが

こころここにあらず、

になってしまったのだった(笑)


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