だからその手を離そうか。


ん~。やはりダーキシ

あの首相のしゃべり方や声は

演出すればするほど

好きになれんな。


ワクチン接種のCM

さまざまな媒体で耳にするが

ちゃんとイラっとする(笑)


ハナの奥あたりに

ちっちゃい瀬川瑛子か。


うまくしゃべろうとしてるが

ちょっとカッコツケ出てるし

言葉の抜け感が悪いみたいな。

前も書いたけど変わらんね。


出川哲朗がジェラシーを

ジェラと言うような感じで

ダーキシの声はイラですよ。


日本人は自分たちで首相を

選びたいけど選べないから。

熱量がリンクしないんだな。


期待したくなるリーダーを

みんな待っているあいだに

みんな、飽きてしまった。


勢いってその旬が大事で。

結局、時期(選挙)が来れば

演じて乗りきろうときれいごと。


衆院選はいつになく機運を

私たちも高めようとしてたが

フタ開けてみれば

いつもと変わらぬ投票率。


参院選もこのまま国民は

本気にならずに終わるのかな。


こぶしを握り得意げに

お任せ下さいみたいに。


任せるつもりもないけど

面倒なことはゴメンだと

覆す権利を放棄してたり

反発力があっても逃がす工夫が

社会全体に施されている。


コロナのマスクにしても

外していいかどうかを

逐一指示されてる有り様って

やっぱりなんか違うなと。


同調圧力の効果ってのは

私たちのネックなんですよね。


互いに減点できない雰囲気を

つくりあって形成している。


個人と社会のバランスや

その双方の在り方がやはり

他国とは違うんだろう。


個人を尊重しながら

腕を大きく広げられる

自由が認められていて

(認めるというか、当たり前)


そのうえで全体としても

ルール守ろうよという

スタンスが私たちには無い。


私たちは腕を上下左右

いっぱいに広げる自由を

本来、持っているのに。

マスクがこの典型ですよ。


その自由を持ってはいけないと

思わされ、捉えさせられている。

同調圧力のアシスト効果が抜群で。


互いに我慢するのが日本人の

古来からの美徳であるかのように

叩き込まれてきたからではないか。


両腕を縛りながら

狭い箱にいたとしても

その箱の中で快適に

過ごす工夫をして

ストレスを逃がそうとする。


そもそも狭い箱やテリトリーを

甘んじて受け入れすぎている。

他国とはこの時点で違う。


自分の意思で大きく反発し

それを両手いっぱいに

広げて主張するからだ。


なぜ四畳半なんだ?と言わず

そこを疑問にすらせずに

三畳や二畳に狭くされても

そのことに文句を言っても

変わらないからとあきらめる。


狭くなった空間でも

仕方ないよとあきらめては

いじらしくその窮屈さの中で

うまく立ち回ろうとしてしまう。


根本はこのスタンスの違いか。

いろんな社会問題の根底にも

このスタンスが絡んでいる。


国土の広さ、狭さが人の主張と

比例してしまうんでしょうね。


そういうメンタルを形成して

疑いもせず続けてきたんですよ。


すべての問題の根っこで

網目状に強固に張り巡らされ

互いの手で従順に縛り合う私たち。


この手を互いに離せば。

まだまだ私たちは変えられる

ポテンシャルやノビシロがあると

本気で思ってるんですけどね。










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