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そうですこれが若者の・・・


「バンキシャ」でチラっとみたが

若者のコロナ慣れの行動や意識について

ちょっと自分なりの意見を。


若者の行動を制止しようとしても

実は、逆効果になるだけで聞く耳を

もたないのだろうなと感じるんですよ。


若者時代を経験してきた人ならば

みんなわかると思うんです。

かつての自分をよ~く思い出して・・・

そんなにマジメじゃなかったよね?


若い時分のエネルギーってのは、

複雑なもんです。

若い当時は言われたままに従うのが、

すごくカッコ悪いと感じてしまう。


度胸があるとか、キモが据わってるとか。

そんな自分と悪ぶる自分の区別があいまい。

自分の行動を制限されるのが好きじゃない。


ワタクシのようなオジサン世代以上の人も

かつては同じようなエネルギーにあふれ、

いま考えると「意味の分からない反発心」が

確実にあった。誰もが通る、普通の道。


いまなら、反省もする、してる。

やりすぎたなぁとか、考えが甘かったとか。

いまなら、わかるんですよ。

年をとったいまならね。


当時の自分と現在の若者、

重ねて想像してみてください。

自分たちのほうが

もっと酷かったのでは?(笑)


ものわかりのいい若者が教育や

しつけによって増えていたとしても

質の高いものに囲まれていたとしても。


やっぱりどこかで若者には

ちょっとヤンチャを経験してほしい。


もちろんコロナとヤンチャを

いっしょにするつもりはない。


すごく線引きが難しいが、

セットで一緒に引きずる感が

年々、強くなっていませんか?


若者が反発する感情がみえる

動きがあるのは正常だと思う。

そしてそこは少し、見ないふりで

泳がす緩ませ方も必要だと思う。


ある意味で、どの時代でも

自然で人間的である証拠だなと

各世代の若者像をみてもわかる。


いつだって若者は、抑えようとしても

抑えられない衝動や発散、意思がある。

それを大人は押さえつけるべきなのか。


若いころ、ちゃんとガス抜きして育った

人間がいろいろ経験して大人になるほうが、

良いこと悪いことを両者の気持ちに立って

感じ取れる人間に成長するのではないか。


良いことばかりを授けられ、

自分の意思を全く持たずに生きて

大人になることも可能な時代だ。


その優等生すぎた正義感が、

社会全体のバランスを崩してしまった。


コロナだからといって何か

取り締まりつつ並べて倣う意識を

高めすぎるのも危険な兆候です。


全部を防ごうと少しでも気になる事態に

懸念を呈して摘み取りすぎると、

とんでもない暴発を招きかねない。


若い人の暴発を和らげながら、

杓子定規に物事を進めないことも

重要なのではないか。


苦言を取り上げすぎるのもマズイ。

いくらマスゴミと罵られようが、

そのあたりのさじ加減をわきまえて、

コントロールしていかないといけない。


それだけ世論は

こんな小さなことでも、

大きく振れる振り子のように、

影響を与えることを

忘れてはならないのではないか。






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