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かくじのじかく。


もともと冬になると流行するだろう。

みんなそう思っていたはずですよ。


それほど驚きではないが

実際に罹患した人じゃないから

ワタクシも含めて、気楽なのかも。

なった人はまた違う感情でしょうね。


予想以上に無症状や気になるけど

気にしようとしない患者が多いはず。


芸能人は検査をよく受けるから

次々と感染発覚となってますね。


ということは、一般市民も同じ。

いま発表されている

新規感染者数は仮の数字。


ヘタしたら2倍以上の

はるかに多い人が確認されていない

だけなのかもしれませんね。


これはもう、間違いないでしょう。

検査して、もし陽性が出てしまったら。

人間はね、やっぱ考えますから。


自分の仕事や生活、勉強などに

影響することのほうを恐れている。

普段どおりのスタイルを制限される

そちらを恐れて、検査に消極的にも。


受験シーズンでもあるし、

中には、バレなければ

飛沫させなければ・・・

なんとか、受験が終わるまでは。


そう考えても不思議ではない。

それは親も子も、絶対に

脳裏をよぎることでしょう。


昨今の日本の社会は許す感情を

見せないように変化している。


みんな責任を押し付けあい

すぐに怒る、文句ばかりつける。

ちゃんとやっても、当然とばかり

感謝も誉めもしない。


自覚ないですか?(笑)

「許したら負け」みたいな

ヘンな雰囲気のほうが蔓延してる。


検査自体もどうせ行列状態で

真冬だし「風邪だろうと思いたい」って

自分の感情を優先しようとしがちに。


そう思うことで検査をしたくない

方向へ気持ちがシフトしていく人も。


たとえ、強制的に検査をしたとしても

医療崩壊が目に見えているならば。


もっといると思って、各自が

行動を調整するように心がける。


各自をひっくり返すと、自覚。

つまり、角度を変えて考える。

自覚して、各自がとる行動がカギ。


それが一番、社会全体に対する

負担が少ないことにつながる。


感染させてしまうリスクとかを

医療現場ではリスクゼロ感覚で

対処するのが本分でしょうから。


医者の立場からはダメ

というのは当たり前のことで。


でも医者はその人ひとりひとりの

人生まで面倒みるわけではない。


言ったことは医療に関する責任のみ

その人への社会的影響力まで考えて

ダメ、とは言っていないんです。


だから実際に人生を左右するのは

自分の決断で、責任であったりする。

医者は医者の立場のみでしか言えない。


でも実際に、小豆を箸でつまんで

ひとつひとつ移動させるように

慎重に慎重を重ね続けることに

自分が歩幅を合わせていると?


そこに自分も踏み込んでしまうと

こっちが合わせて守らざるをえない

そういう状況をつくってしまう。


「社会的に死ぬ」んですよ。

社会で死んでも医者は助けない。

助けられないからですよね。


こっちからすると極端にいえば

マジメに捉えすぎてしまう人たちに

仕事を増やすのは得策ではない。


結果的にうるさくなる環境が

予測できるならば、正しくても

あえて、うるさくする必要はない。


うるさくして、うるさくなった

責任など取らずに素知らぬ顔で

出ていくだけですから。


正しいこと、すべきことであっても

状況によっては回避することも大事。


マジメすぎる人は正しいことをして

自分の責任を全うしておきたがる。

そうやって難しい判断から

責任回避したいだけ、なんです(笑)


この責任の対処方法は頭の良いと

言われる人に、まぁ多いですよ(笑)

バレてないと思ってるでしょうけど

バレてますからね。


自分を安全なところに置く感覚は

ものすごく鋭いし、的確に突いてくる。

見逃しませんよね、頭良いから。


無理に言うことを聞かなきゃ

ならない状況を自分で招くより

そういう状況にならない範囲で

各自の自覚でもって調整する。


そっちのほうが頭の良い人に

合わせるより最終的なバランスとして

優れている判断だと思いますよ。


各自の立場が、意外と人間の行動

そのものを結果的に邪魔してしまう

という現象が起こるだけです。


それでも人間は正しいほうへ

舵を切りつつ、難しいほうへ

複雑なほうへシフトしていく。


この流れの意識感染力は

止まらないのかもしれないが。






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